松江市民の皆様そして東林寺檀信徒の皆様

「月照寺における過去の出来事と月照寺後任住職選定の経緯」

写真は、私が平成9年2月23日に撮影した、初代直政公の墓所の中の写真です。

3枚の初代直政公の墓所の中を撮影した写真には、月照寺墓所を「納骨されている墓所」と考えられずに、観光名所と考え訪れる観光客の為に造られたと思われる遊歩道と、初代直政公の墓碑を真上から見下ろせる観覧場所らしき物が写っています。

墓所は先祖と子孫との出会いの場所です。今、生きていることを先祖に感謝し、先祖を想い、先祖との「命の襷」を心身に感じ、先祖と語り合う「語らい」の場所です。

今回、皆様にお知らせする「月照寺における過去の出来事そして現在も進行している出来事」を、月照寺墓所に眠る初代直政公から9代齊貴公までの子孫だけの問題として受け止めないで下さい。同じような出来事が各宗派を問わず「寺壇紛争」と言われ、国内各地の仏教寺院で頻発しています。
私は月照寺における一連の出来事は、松平家を相続した10・12代定安公の子孫の方々が解決するべき問題であると考え、1人の傍観者で居ましたが、平成8年、月照寺墓所が「国の史跡」であるのにも関わらず、文化庁に事前に申請もせずに、初代直政公の墓所内に「遊歩道」と「観覧場所」を無断で造成したことを発見するに至り、同時期松江に暮らしていた11代直応公の子孫の1人としてもはや傍観者で居続ける事は私には不可能でした。
私は月照寺における「過去の一連の出来事」を、11代直応公から託された解決するべき「問題」と受け止め、傍観者で居続ける事を止め当事者になりました。
(注)松江松平家については、2枚目の「松平家略血統図」をご覧ください。

再来年の平成29年は「不昧公没後200年」です。その時私は、月照寺の庫裏の内から不昧公の全子孫の方々とともに「不昧公」をお迎えしなければと考えています。

高野山にて 松本博二

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