平成25年7月8日は、月照寺前兼務住職が亡くなった日

平成26年7月8日は、前兼務住職の一周忌命日、そして私を浄土宗宗務庁が騙した日

まず初めに、次頁の平成26年8月5日付け、N総務局長あての手紙をお読み下さい

私が宗務庁総務局に伝えた会合出席の為の条件
  1. 松江月照寺での開催
  2. 調停に関する規定(宗規第百三十号の調停申し立て)とは無関係な会合である事
  3. 総務局職員または浄土宗出雲教区長同席での開催である事
    合意が形成されるまで、7月8日以降、何度でも話し合いの為の会合が開催される事
私への宗務庁総務局からの回答
  1. 7月8日午後3時、京都宗務庁において開催
  2. 私からの会合出席の為の条件①②③を承託する
  3. 浄土宗サイド出席者は、S総務局職員、YD月照寺責任役員、TH月照寺責任役員、H出雲教区長の計4人である事
宗務庁総務局からの回答が満足すべき内容であった為、S総務局職員に出席する旨回答する
会合は月照寺前兼務住職YA氏の一周忌命日に合わせる様に、7月8日午後3時、宗務庁1階会議室に於いて、浄土宗サイド出席者からの挨拶も自己紹介も無しで始められた
各出席者の発言

(S総務局職員)

  • 会合は、午後4時30分までの1時間30分だけ
  • 総務局は私に、「調停に関する規定」上に記載の「調停申立書」を渡さない決定をした
  • 私は月照寺の檀徒ではない、浄土宗では檀徒の選定権は当該寺院の住職にある、檀徒ではないので、宗務庁総務局は「調停申立書」を渡さない
  • 月照寺新住職が私を檀徒として認めないのだから、他の浄土宗寺院を探して檀徒にして貰え!
    (私は、S総務局職員のこの発言の時点で、既に月照寺新住職が決定している事を初めて知らされる)

(YD月照寺責任役員)

  • この会合では、月照寺新住職代理の立場で発言する、と私に許可を求める
  • 再度、松江でチラシを配布したら、父と同様に裁判をする
  • 私に刑事告発の結果を訊ねる、この告発は東林寺による文化財保護法違反に関しての告発である、彼は東林寺責任役員でもあるので当然結果は知っているべきであろう、無責任である!
    (平成21年12月24日、文化財保護法違反で刑事告発する、受理されるが既に行政処分が行われていた為、平成22年2月24日、不起訴になる) 

(TH月照寺責任役員)

会合終了近くになり、S総務局職員の了解を得て自分が「月照寺新住職」であると名乗り出る

  • 私とは絶対に話さない
  • 兼務住職も住職だ
  • 私物化ではない
  • 子孫である事は認める
  • 任せてくれ(何を?)、見ていてくれ(何を?)

会合終了後、握手を求めると「なぜ、あなたと握手をしなければならないのか」と拒否する

(H出雲教区長)

会合開始直後、私が浄土宗サイド出席者に配布した「月照寺の移り変わり」を用い、月照寺の由緒及び歴史を説明し始めるとすぐに

  • 君は仏教を知らない
  • 君は金剛峯寺に勤めているそうだな
  • 君一人では駄目なんだよ

等の「揚げ足取り」「嫌がらせ」「脅し」を行い、私の発言を止めさせる
「揚げ足取りの」等の直後に、「なぜ、あなたは此処にいるのですか?」と訊ねると
「俺は教区長だ!」と答える
この言葉を聞いた直後、私は浄土宗サイド出席者のこの会合開催の目的を理解する事が出来たので、この言葉以降、問題解決の為の前向きな発言を一切控える
会合終了間際、「さあ、これでこの話はもうお終いだ」と浄土宗サイド出席者に向かって一方的に宣言する、そして、私を除く3名の浄土宗サイド出席者と共に、名号「南無阿弥陀仏」を繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し唱え、私の同意なしに会合を終了させる

以上が、私の頭の中に残っている、7月8日の会合での「浄土宗サイド出席者」の発言です。

 
会合終了直後、宗務庁内で見られた一つの光景
そこでは、TH月照寺新兼務住職がS総務局職員に「有難うございます」と感謝の気持ちを言葉と態度で表している姿が見られた、そしてその言葉を当然の様に受け止めているS総務局職員の姿も見る事ができた
会合終了後のS総務局職員の言葉
「残念でしたね、裁判をしても良いですよ、浄土宗からは絶対にしませんから」

追記

月照寺は、初代松平直政公によって生母月照院の菩提を弔う為に1664年建立され、1666年二代綱隆公が直政公の遺志に従って境内に廟を造り歴代藩主の廟所と定めた。月照院の墓碑の他、初代直政公から九代齊貴公までの墓所がある。現在の松平家は津山藩から九代齊貴公の養子に入った十・十二代定安公の血統であり、十三代直亮公の生母は定安公の側室である。従って月照寺に於いては、初代から九代までの直系の血統を継いでいる九代の実子である、十一代直応公の子孫達だけが、月照院及び初代直政公から九代齊貴公までの歴代藩主の「先祖追善供養」を行えるのです。現在では、十一代直応公の長女直子と三男直誉の子孫達だけが残っている直系の子孫になります。

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