「始まり」

皆様は平成2年に松平家の墓所と取り付け道路の所有権をめぐり、15代松平直壽氏が月照寺を相手取り「所有権を勝手に移転登録したのは無効だ」として、所有権移転登記の抹消を求める民事訴訟を起こした事を覚えていらっしゃいますか?
この民事訴訟も、平成7年3月に双方が和解文書を交わして一件落着しました。
和解文書・和解条項の六には「原告と被告月照寺は、本件墓所および本件土地一について、文化財保存のための必要な行為および法令上必要な行為を除き、構築物の撤去・移転または土地の形質変更その他一切の現状変更をしないことを相互に確認する。」と書かれています。右の「和解条項」をお読みください。

平成8年3月29日に月照寺墓所は国の史跡となり、月照寺が墓所の何らかの現状変更を行う場合は、その現状変更前に文化庁に申請書の提出が義務付けられました。一枚目の3枚の写真に写っている遊歩道と観覧場所らしき物を発見したのは、私が「先祖と語らう」為に初代直政公の墓所を訪ねた平成8年11月頃でした。
早速、文化庁に無申請で造成した疑いがある旨を島根県と松江市に連絡したところ、翌9年、島根県と松江市の合同立ち入り調査の結果、遊歩道と観覧場所とも撤去させられました。
月照寺が松平氏と和解文書を交わした平成7年のその翌年8年に、もう、このような現状変更を文化庁に無申請で行った事に驚くとともに、月照寺が松平氏と交わした「和解文書」とは一体なんだったのだろうかと考えると情けなく、悲しい気持ちにさせられた事を昨日のように思い出します。
同時に、東林寺住職でもあった月照寺兼務住職、そして東林寺住職一族が月照寺をどの様な目でみつめていたかもはっきりと理解できました。
東林寺住職一族は月照寺墓所を、和解文書と一緒に月照寺兼務住職から出された「月照寺としての見解」に書かれている「一定の財産価値をもつ不動産」として見つめていたと、はっきり理解できました。
(注)13枚目の「月照寺としての見解」をお読み下さい。
私の先祖達とは「縁も所縁も無い東林寺住職一族」の彼らとはいえ、月照寺墓所の尊厳と月照寺の風致および環境を守るべき立場にいる「月照寺責任役員」でもあるのに、月照寺墓所を創建した、松江松平家初代直政公の尊厳をこれほどまでに冒涜するとは!
この時のこの感情が、私を平成9年2月からの資料配布に駆り立てたのです。
(注)東林寺住職一族が、私の先祖達と「縁も所縁も無い一族」である事は、8枚目の「月照寺の移り変わり」に書きました。

和解条項

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