平成9年2月に初めて月照寺に関する資料を皆様に配布して、同時に月照寺は先祖達が眠る墓地ゆえに「平和な話し合いでの歩み寄り解決」を月照寺前兼務住職に求めてから、すでに19年の年月が流れてしまいました。こんなにも長い年月が、時間が必要になるとは! 初めての資料配布当時、私は宗教活動を永続的に行う為の保証としての境外地を15代松平直壽氏に事前に相談も無く、それ以前に月照寺の境外地が存在する事実も告げず、東林寺の移転が「月照寺の境外地への移転」であるのに「月照寺の隣接地への移転」と松平直壽氏に告げ実行した、当時の月照寺の3人の責任役委員の言動が信じられませんでした。
(注)平成9年の東林寺移転による月照寺境外地売却については、12枚目に書きました。
その当時の私は「僧侶」を自分よりもはるかに倫理観のある人達と考え、彼ら「僧侶」を少しも疑う気持ちを持ち合わせていませんでした。ですからすぐに自分の考えている方向で解決するであろうと。3人の責任役員はすぐに謝罪して解決に向かい、平和な月照寺墓所に戻るだろうと。
いまから当時の自分を振り返ると「僧侶と言われている人達に対する理解能力・判断能力」に欠け過ぎていました。全ての「僧侶」は「仏弟子」としての仏の道を歩む事を発心した人達だと思っていました。自分よりもはるかに倫理観のある人達だと思っていました。
しかし現実には今日に至るまでに私が接触した多数の浄土宗僧侶および浄土宗教区長、そして約70名の浄土宗の宗議会議員僧侶の中から、「浄土宗僧侶」としての「品性」を感じられた人物は少数の人達でした。

月照寺前兼務住職は生前にたった一度だけ私との面会に応じた事があります。たしか平成21年5月頃だったと記憶しています。その時に彼が私に言った言葉「法要は出来ない、庫裏には立ち入るな、墓地、境内だけは立ち入りを許す、きちがい」と。その前兼務住職も平成25年7月8日に亡くなりました。今回、皆様にお届けする資料は、月照寺後任住職選定の為に私が行った浄土宗サイド関係者との交渉経過を、前兼務住職死亡時から現在に至るまでに私が彼らに書いた「面会要請文」を中心にお知らせする資料です。
月照寺の後任住職選定は前兼務住職選定時と同じく松平家関係者には一切相談も選定結果報告もなく、前兼務住職時代に責任役員であった前兼務住職の身内である2人、東林寺住職一族のY氏とT氏が再び新責任役員に就任し、月照寺後任住職には、3人の責任役員の内の1人として平成8年に初代直政公の墓所の中に遊歩道と観覧場所らしき物を造り、平成9年には松平直壽氏に連絡せず、月照寺境外地586坪を公示価格の約半額で東林寺に売却したTH氏が就任しました。
※しかも今回は、平成26年7月8日に浄土宗宗務庁総務局長自らが、TH氏の「住職としてだけの世襲」に付随の月照寺での責任役員と総代の人事権を守る目的で、私を騙して宗務庁に呼びつけ、たった一人の弱い立場にいた私を浄土宗僧侶4人掛かりで潰そうとしました。
その証拠に総務局長はS職員に「月照寺新住職が檀徒として認めないのだから、他の浄土宗寺院を探して檀徒にして貰え!」と言わせた。この言葉こそ、TH氏とYD氏の願望「松本には月照寺に口出しさせない、責任役員、総代、檀徒にしなければ大丈夫だ。法要を拒否して檀徒にしなければ、月照寺と無関係な人間にする事が出来る」という彼らの口から流れ出る「我欲のよだれ」を月照寺の宗教活動として、浄土宗宗務庁総務局長が浄土宗を代表して認めた事を意味しています。 (注)平成26年7月8日は月照寺前兼務住職の一周忌命日の日です。その日に合わせ彼らは私を、京都浄土宗宗務庁に呼び出したのです。 平成26年7月8日月照寺前兼務住職一周忌命日の浄土宗宗務庁での状況は、9枚目に書きました

宗教法人月照寺所有の土地売却について

4

先頭へ戻る

トップページへ戻る

© 松本 博二. All Rights Reserved.