不昧公の子孫からの報告

平成29年に不昧公没後200年を迎えた、不昧公が眠る松江松平家菩提寺月照寺の過去の出来事から垣間見える、浄土宗僧侶の劣化と浄土宗宗務庁の世俗化!

月照寺は、1664年に松江藩主初代松平直政公によって生母月照院の菩提を弔う為に建立され、1666年に二代松平綱隆公が初代直政公の遺志に従って境内地に廟を造り、藩主の廟所と定めた。境内地には月照院の墓碑と初代直政公から九代齊貴公までだけの墓所があり、月照寺が昭和28年に宗教法人化されるまで、月照寺は藩主の葬式と歴代藩主の年回忌法要を執り行う墓所付属寺院としてだけ存在してきた。勿論、墓所には歴代藩主の遺骨が納められています。我々子孫にとっての月照寺墓所は、先祖の年回忌法要行い、直接、先祖に功徳廻向を行える唯一の場所です。」

報告Ⅰ

下のチラシは「松平不昧公200年祭」の年に、月照寺で開催された松江茶道会主催の「茶筅供養」での出来事を松江市民に報告する目的で配布したチラシです。

(配布チラシ)

平成29年4月23日の月照寺茶筅供養の出来事をお知らせします。
前日の22日、私は先祖供養の目的で月照寺を訪ねましたところ、偶然にYD氏と出会いましたので、翌23日の茶筅供養の場で、茶筅供養参列者の方々への不昧公の子孫である私の紹介を依頼しました。YD氏からの返事は「私は出来ないが、THがするでしょう。」でしたので、翌23日12時45分頃に茶筅供養参列の目的で月照寺を訊ねました。そして庫裏の前に立っているYD氏を見かけたので声をかけました。するとYD氏は興奮状態でいきなり私に向かって「出ていけ、3度出ていけと言ったら不退去罪?で警察を呼べるんだ、防犯カメラもあるぞ、録音テープもあるぞ、出ていけ、出ていけ、出ていけ、3度言ったぞ、警察を呼ぶぞ」と言い放ち、震える手でどこかに携帯をかけ始めた様子でした。そうこうしているうちに2,3分後だったと記憶していますが、どこからともなく4、5人の警察官が現れました。おそらくYD氏と警察との間で打ち合わせが出来ていたのでしょう? 私は不昧公の子孫として茶筅供養に参列するという正当な理由があって月照寺を訪ねたのです。松江市民が不昧公没後200年をお祝いしているその最中に、よりにもよってなぜ、不昧公の子孫である私だけがこのような扱いを受けなければならなかったのでしょう。4,5人の警察官は、YD氏から私が不昧公の子孫である事を知らされていなかったのでしょうか? YD氏は警察に対して私の素性をどのように説明し、どのような理由で警察官を待ち伏せさせる事を警察に納得させ、そして現実に警察官を待ち伏せさせる事ができたのでしょうか? 以上が平成29年4月23日の月照寺茶筅供養での出来事です。

(追記)

発心し仏に帰依した僧侶がいかなる理由があっても「仏の教え」を信頼して生きている人々に対し、自分の考えを押し付け、言うことを聞かせる目的だけで(自分の欲を押し付ける目的だけで)世俗の警察の力を頼み、「仏の教え」を信頼して生きている人々を抑え込むことは「仏の教え」では許されているのでしようか?
世俗の警察の力に頼って、「仏の教え」を信頼して生きてる人々の心を抑え込むことは「浄土宗知恩院の教旨」では許されているのでしようか?

僧侶が世俗の警察の力を頼んだ時点でその僧侶には、僧侶としての資質が無い事、僧侶としての仏教観を持ち合わせていない事を自分自身で認めたのではありませんか。
そして同時に、己れ自身が既に浄土宗僧侶ではない事を認めたのではありませんか。

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