月照寺前兼務住職死亡後の、浄土宗サイド関係者との交渉経過

7月 8日 浄土宗・某宗議会議員から月照寺前兼務住職が死亡した旨の連絡 を受け取る。
9日 前兼務住職の長男であり月照寺責任役員の1人であるYD氏に、 本葬(8月21日)以降の面会を電話で要請するが、電話を切られ拒絶される。
8月27日 49日(8月26日)が明けるのを待ち、YD氏に連絡をするが不在の為、東林寺女性事務員を通じてYD氏に9月4日以降の面会を申し込む。
9月 4日 3日までにYD氏から連絡が無い為、YD氏の職場を訪問するが面会できず、文書にて、初代直政公の「追善法要」を10月6日に依頼する。法要終了後にYD氏との話し合いを望んでの依頼であった。
19日 YD氏から連絡が無い為、彼の職場を再訪する。
25日 YD氏から「職場は寺の窓口ではありませんので、職場を通じて提出された書類は受け取れません」と書かれた手紙を受け取る。同日、10月6日予定の初代直政公の「追善法要」の開始時間を、午後3時から午前10時に変更依頼する。
29日 前兼務住職死亡後2か月経過した後、この日初めて、YD氏から「月照寺住職を継承していない」事、そして「これまで職場に郵送もしくは持参された書類は返送するかまたは、弁護士に保管して頂いております。今後そのように対応させて頂きます。」と書かれた手紙を受け取る。
10月 3日 YD氏から、「10月6日の追善法要は不在の為にお会いする事が出来ません。」と書かれた手紙を受け取る。
6日 午後4時30分、浄土宗出雲教区長H氏を訪問し、これまでの経過報告と月照寺後任住職選定の為の協力要請を望んだが、直接面会できず、家人に持参した書類を手渡して退去する。 「教区長H氏の声はするけど姿は見せず」の訪問結果であった。
8日 午前9時50分、京都浄土宗・宗務庁を訪問し、①総務局職員S氏に前兼務住職死亡後の月照寺後任住職選定の為の途中経過報告を行う。②総務局職員S氏を通じて宗務庁総務局長N氏に、月照寺後任住職選定を目的とした会合開催の協力要請を行う。
15日 前兼務住職の甥である、もう一人の月照寺責任役員TH氏に面会要請文を郵送する。
11月 8日 京都浄土宗・宗務庁を再訪する。総務局職員S氏から「総務局は一切協力出来ない」と告げられる。

 

同日までに、前兼務住職時代に月照寺責任役員であったYD氏とTH氏からは勿論、浄土宗出雲教区長H氏からの返答も一切無し!

11月8日以降の浄土宗サイド関係者との交渉経過は、私が彼らに直接郵送しました「面会要請文」を続けてお読み下さい。

平成25年10月15日

TH様

先日、YDさんから、月照寺の住職を継承しない旨の連絡が届きました。
そこで、お伺いいたします。

THさんは、現在も月照寺の法類総代でいらっしゃるのですか?
現在も法類総代でいらっしゃるのであれば、今後の、宗教法人月照寺の護持、管理、運営について、どのようなお考えをお持ちなのでしょうか?

是非、ご回答をお願い致します。

また、同封の資料は、浄土宗の全宗議会議員及び、松江地区全寺院(宗派は問わず)に配布済みの私が作成しました、過去における月照寺の基本財産についての主な損失について書いた文章です。平成9年の月照寺境外地売却当時、THさんは月照寺と東林寺の責任役員の1人でした。境外地以外にも、月照寺は東林寺の月照寺境外地への移転に際して、東林寺に格別な便宜を図ったと私は考えています。現在、THさんは、その当時を振り返ってどのようにお考えなのでしょうか?

私が確認している、月照寺の東林寺への格別な便宜は、
昭和60年61年境外地を売却して、茶店「一心庵」をせっかく建てたのにも関わらず、東林寺移転の為に取り壊した。
東林寺移転の目的で、月照寺境外地から借地人を立ち退かせる為、月照寺借地人に立ち退き料2100万(私の確認済みの金額)を、月照寺が東林寺の為に支払った。
寺町時代の東林寺にあった大きな石碑、地蔵仏を月照寺駐車場に設置した。
その他

法類総代に関しての御回答とともに、月照寺責任役員として宗教法人月照寺の護持、管理運営に実際に携わり、上記、東林寺への格別な便宜を図る決定をなされた、THさんのその当時のお考えも是非、教えて下さい。

私は、THさんとお会いして、月照寺の護持、管理。運営について、じっくりとお話をしたいと希望しております。面会日時をご指定下さい。お待ちしております。

松本博二 648-0211   和歌山県伊都郡高野町高野山26-4

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