「終わりに」

松江市民の皆様そして東林寺檀信徒の皆様はどのように判断なさいますか?

月照寺後任住職選定の為に私が行った5枚目から10枚目までの浄土宗サイド関係者との交渉経過、いつの間にか後任住職に就任したTH氏が、Y前兼務住職当時に3人の責任役員の1人として行った11枚目の月照寺の主な5つの活動、平成9年に東林寺が取得した月照寺境外地に関して、松平直壽氏から私への12枚目のFAXを読まれてどのような感想を持たれましたか?

右の文書は、松平直壽氏との間で行われた民事裁判が和解で終了した平成7年3月、Y前兼務住職名で出された「月照寺としての見解」です。この文書は宗教法人月照寺の活動理念を松江市民に知らせる目的で書かれた文書でしょう。既に周知のように、月照寺は松江松平家の菩提寺としてその「由緒沿革、慣習伝統」から「墓所」と「境内地」と「境外地」は一体として創建された墓所付属寺院であることは明らかです。従って文書に書かれている「月照寺墓所の環境整備に務め」は「月照寺の環境整備に務め」を意味することは当然です。
Y前兼務住職は「月照寺としての見解」を通じて宗教法人月照寺の活動理念は、①「歴代藩主ならびに松平直壽氏の恩顧に報いたい。」②「今回の和解を機会に松平直壽様との信頼関係を、一層深める」事だとも書いています。私はこの文書を読み、文章の仰々しさと文章から感じ取れる前兼務住職の尊大さにあきれてしまいました。月照寺の「由緒沿革、慣習伝統」を無視し、歴代藩主の月照寺建立の遺志を顧みない、月照寺は己だけの管理下にある己の寺であるような理解での物言いの文章。月照寺住職の月照寺での役目は、歴代藩主の月照寺建立の遺志に従い月照寺墓所の尊厳および墓所と不可分の境内地と境外地の風致と環境を守る事であり、月照寺僧侶として歴代藩主の子孫からの「先祖追善供養」依頼を行う事です。8枚目の「月照寺の移り変わり」を読んで下さい。

ところが実際の月照寺の活動は「月照寺としての見解」とは正反対だったのではありませんか。
「恩顧に報いる」どころか「信頼関係を深める」どころか、月照寺責任役員でもあったY前兼務住職とT新兼務住職は、歴代藩主並びに松平直壽氏と私に対して月照寺責任役員としてよりも常に、東林寺責任役員として「東林寺住職一族だけの都合」と「東林寺だけの都合」で相対してきたのではありませんか。そして月照寺を「月照寺としての見解」に書かれた「一定の財産価値をもつ不動産」として見てきたのではありませんか?
私はY前兼務住職とT新兼務住職の2人が月照寺を「一定の財産価値をもつ不動産」と考え、月照寺責任役員の地位にありながら「東林寺住職一族だけの都合」と「東林寺だけの都合」で行った月照寺の活動の一つの実例が、12枚目の平成9年の東林寺移転による月照寺境外地売却だと考えています。

その一つの実例、月照寺境外地売却のキッカケとなったのが14枚目の都市計画案「朝日町交差点と寺町交差点間の道路拡幅」です。松江市が立案し島根県の事業として決定された都市計画案です。この都市計画案の日程を見ると都市計画案は平成3年には既に立ち退き人には知らされています。当然この時、立ち退き人の一人である東林寺住職一族にも知らされたと考えるのが自然です。
平成4年には全体説明会を開き、立ち退き人に都市計画案を提示し、平成5年にはスケジュールを個別に立ち退き人に説明。同年11月には立ち退き要請を開始しています。

月照寺としての見解

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