立ち退き要請を受けた東林寺責任役員であった2人、Y氏とT氏は、松江市から初めて都市計画案を知らされた平成3年から9年の月照寺境外地取得までの6年間、東林寺の移転先を月照寺境外地以外に求めず、月照寺責任役員として松平直壽氏に一切知らせず、東林寺を月照寺境外地へと移転させる準備を着々と進めたのです。平成7年12月23日に2人は、月照寺責任役員として浄土宗宗務庁に「島根県が施行する県道都市計画街路改良工事にあたり、移転を要する東林寺の代替地として島根県に売却。売却資金は本堂改築資金にあてる。」を理由として寺院財産処分承認申請書を提出しました。そして申請書提出の翌8年になってY前兼務住職は、松平直壽氏に「月照寺の境外地=月照寺の土地」を売却するとは言わずに「松江市が東林寺の移転先として月照寺の隣接地を捜してくれたので月照寺の隣接地へ移転します」と連絡したのです。
その後月照寺は、平成9年3月17日、「東林寺住職一族だけの都合」と「東林寺だけの都合」で境外地を公示価格の約半額で売却することになるのです。
以上が一つの実例、2人が「一定の財産価値をもつ不動産」と考えた月照寺境外地売却の経緯です。皆様は、Y前兼務住職の「月照寺としての見解」をどのように判断なさいますか?松江市民に向け本心から書かれた文書であったのか?松江市民を欺く目的で書かれた文書であったのか?
私は「月照寺としての見解」を読み、Y前兼務住職が本心では「歴代藩主ならびに松平直壽様の恩顧に報いたい」とも「松平直壽様との信頼関係を深め」ようとも考えていなかったと判断しました。月照寺を「一定の財産価値をもつ不動産」としか見ていなかったと判断しました。彼は歴代藩主に「畏敬の感情」は勿論、「敬意の感情」すらも持てるはずのない。歴代藩主とは「縁も所縁もない東林寺住職一族」の一人として、「住職としてだけの世襲=寺院の管理運営者としてだけの世襲」で兼務住職になった人物だったので、月照寺を「一定の財産価値をもつ不動産」としか見れなかったのです。彼は月照寺で宗教活動を行う「仏弟子としての僧侶」ではなかったのです。
「仏弟子としての僧侶」ではなかった事実は、歴代藩主の子孫である私からの「先祖追善供養」依頼を平成9年から平成25年まで、16年間も拒否し続けたことで明らかです。そして現在も月照寺では、Y前兼務住職の後任としていつの間にか「住職としての世襲」で新兼務住職になったTH氏が、私からの「先祖追善供養」依頼を前兼務住職同様、拒否し続けている。
私にとって恐ろしい事は、月照寺から歴代藩主の子孫を徹底的に排除しようとする、新兼務住職TH氏の我欲が、歴代藩主と子孫の「命の襷」「血の襷」を断ち切り、その結果、月照寺を、「無縁仏が眠る墓所」にしてしまう現実をTH氏自身が自覚できていないことです。
新兼務住職TH氏は、月照寺を「仏弟子としての僧侶」として歴代藩主から預かっている仏教寺院であるとは考えられずに、東林寺住職一族が管理する「一定の財産価値をもつ不動産」とだけ考え、「歴代藩主の恩顧に報いよう」としない、月照寺兼務住職の地位にありながら月照寺を東林寺住職の立場でしか考えられない人物なのです。
松江市民の皆様そして東林寺檀信徒の皆様はどのように判断なさいますか?
以上
月照寺は藩祖松平直政公が創建した寺院です。再来年の平成29年は「不昧公没後200年」です。