本稿は、『人権と部落問題 』2014年2月号に掲載されたものです。

過去の投稿原稿一覧
○ 『人権と部落問題』2012年2月増刊号「住民自治と人権を守るネットワーク運動」
○ 『人権と部落問題』2009年9月特別号「権利意識の高揚をめざす主体の形成を」
○ 『人権と部落問題』2007年5月号「島根県における同和行政・教育の終結をめざす取り組み」 
○ 『部落』2001年7月号 特集「新たな地域住民運動をめざして」 

≪現地報告≫
  『はだしのゲン』 閲覧制限が問いかけたもの

 中沢啓治著作の漫画『はだしのゲン』が昨年8月16日、松江市教育委員会(以下、市教委という)によって閲覧制限されていることが地方紙報道で発覚し、全国に衝撃を与えました。全国から抗議の申し入れが多数行われました。閲覧制限は「手続きの不備」があったとして市教委が制限を撤回するまでの10日間の騒動は激流の日々でした。その後の状況も踏まえ、この問題が何を問いかけているのか、リポートします。

「在特会」の策動

 2012年春、高知県出身で「在日特権を許さない会(在特会)」とつながりのある男性が市教委をたびたび訪問し、『はだしのゲン』を学校現場から撤去することを要求したことから始まります。
 当時、松江市内に住んでいた男性は「『はだしのゲン』は事実ではないことが書いてある。将来を担う子供たちに見せてはいけない」と大声で恫喝しながら主張し、その様子をビデオ撮影し、インターネットで動画配信し、宣伝する手法を取り続けていました。これを見た一部の人たちから、市教委に対して罵倒、嫌がらせ、誹謗中傷、恫喝まがいの電話や抗議メールが送信され、市教委は「精神的な苦痛を受け、底知れない恐怖心を抱いた」と後に感想を語っています。
 当初、市教委は「『はだしのゲン』の作品完成度は高く、図書館に置くことについて問題はないと判断し、撤去は考えていない」と毅然とした態度で臨んでいました。

竹島問題とともに市議会に陳情

 これがおかしな方向に展開したのが、男性による松江市議会への陳情書提出以降です。
 同年夏、男性は松江市議会に対して「松江市の小中学校の図書室から『はだしのゲン』の撤去を求める」陳情と「松江市内の小中高校生に授業の一環として竹島資料館を見学させることを求める」陳情の2件を提出しました。
 私は日本共産党公認の松江市議会議員として活動していますので、この問題を同僚の議員とともに考えてきました。
 陳情審査の結果は、『はだしのゲン』は不採択(2012年12月5日、市議会本会議)、「竹島資料館」は採択(2012年10月5日、市議会本会議)でした。
 陳情を審査した教育民生委員会でのやりとりを紹介します。
 『はだしのゲン』 の問題から。 委員からは、 「この図書を学校においていいかどうか、議会が干渉すべきではない」 との意見があった一方、自民党系の議員からは 「『はだしのゲン』は不良図書。 当初の優良図書としての根本が崩れたということであれば、市教委自らが判断し、適切な処置をするべき」 との意見を述べました。 陳情は全員一致で不採択になりました。
 竹島問題について自民党系の同議員は、「我が国固有の領土を守るためには、その気概と知識がなければならない。 韓国がいろいろなことをしている状況があるので、きちんとした歴史を学んだり教えたりすることが必要である。貿易や経済、文化交流などの交流を積み重ねることもあわせて教えることが重要」 と述べています。
 他の委員から 「施設の見学は各学校の校長が決めること」 「議会が口をだすべきではない」 との意見もありましたが、賛成多数により陳情は採択されました。陳情採択の翌月、島根県が管理する竹島資料室は小学生も理解できるようにとリニューアルされました。

教育委員会議に諮らず閉架を要請

 議会が不採択という結論をだし、市教委に下駄を預けるかたちになったことで、教育長をはじめ教育委員会事務局は、教育委員会議に諮ることなく12月の校長会において、『はだしのゲン』は過激な表現があり子どもに自由に閲覧させず閉架扱いするよう口頭で要請しました。
 その後、図書館司書から、“校長の対応がさまざまであり、校長の対応を統一させてほしい” という要望が出され、市教委は2013年1月の校長会で閉架にすることを再度要請したのです。大半の校長が“要請”ではなく、“指示”と受け止めていたことが後の校長会の発言で明らかになります。
 このことは市教委事務局と学校現場以外知らされていませんでした。 松江市教育委員長をはじめ教育委員、議会審査した教育民生委員会にも報告がなかったのです。 議会関係者でひとりだけ知らされていた人物がいました。教育民生委員会で「『はだしのゲン』は不良図書」 と発言した自民党系の委員です。

世論の良識が閲覧制限を撤回させる

 この問題が発覚すると、批判の声が県内外に広がりました。 日本図書館協会の「図書館の自由委員会」 (西河内靖泰委員長)は、市教委と教育長に対し、子どもたちの自主的な読書活動を尊重し、閲覧制限を「再考」するよう求める要望書を送付。 日本原水爆被害者団体協議会( 日本被団協) も 「原爆の実相を伝える作品。 制限する理由はない」 と閉架の撤回を要請。 日本共産党松江市議団も8月16日に事情聴取したのに続き20日、市教委と教育長に閲覧制限の撤回、経過と真相、責任の所在を明らかにするよう要請。新日本婦人の会、憲法会議、教職員組合など広範な団体が抗議の申し入れを行いました。
 一方、 8月21日、下村博文文部科学相は記者会見で「市教委の判断は違法ではない。学校図書館では、子どもの発達段階に応じた教育的配慮の必要性がある」 と市教委の対応に理解を示しました。菅義偉官房長官も 「閲覧制限は教育委員会権限の範囲」 とコメントしました。 自民党政権が閲覧制限を後押ししたのです。
 市教委には8月16日から9月6日までに3529件の抗議や問い合わせがあり、その内、閉架に反対は60%、賛成が32%、その他が8%でした。 閉架の撤回を要請する電子署名(大阪府堺市の男性が提出)は実に2万1156筆に及びました。
 8月26日の教育委員会議において市教委は、「手続きに不備があった」として閲覧制限を撤回。今後は学校の自主性を尊重することを表明しました。
 『はだしのゲン』 騒動は様々な問題を問いかけました。 4点にまとめてみました。

「図書館の自由に関する宣言」 に反する

第一に、図書館のあり方です。
 原則は、 日本図書館協会が1954年に採択し、 1979年に改訂した「図書館の自由に関する宣言」 の立場です。
 宣言は、 「図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする」から始まります。 日本国憲法の国民主権の原則を発展させるために「表現の自由」 と 「知る自由」は表裏一体のもので、知る自由を基本的人権として位置付けています。 権力の介入、社会的圧力に左右されず、利用において公平な権利をもち、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別があってはならないとし、外国人もその権利が保障されているとします。
 多様な、対立する意見のある問題については、それぞれの観点に立つ資料を幅広く収集することを明確にしています。 正当な理由がない限り、ある種の資料を特別扱いしたり、資料の内容に手を加えたり、書架から撤去したりはしないことを述べています。 資料提供を制限する場合は、@人権またはプライバシーを侵害するもの、Aわいせつ出版物であるとの判決が確定したもの、B寄贈または寄託資料のうち、寄贈者または寄託者が公開を否とする非公刊資料の3ケースだけです。 利用者の秘密を守ることやすべての検閲に反対する立場も表明しています。
 島根県教職員組合は9月16日、 日本図書館協会・図書館の自由委員会の西河内靖泰委員長を招いて「図書館の自由に関する宣言」学習会を開催しました。参加者から 「宣言があることをはじめて知った」 「目からウロコ」 などの感想を聞きました。
 市教委の行為は、 この宣言の立場から考えると明らかに誤りです。

「閲覧制限図書」 ほかにも多数

 私は2013年9月市議会において、松江市立図書館における図書の閲覧制限問題を取り上げました。人権・プライバシーを侵害するおそれがあるもの57タイトル、 うち小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の著作29タイトルを閲覧制限している実態が明らかになりました。宣言は、閲覧制限については極力限定して適用し時期を経て再検討すべきとしていることから、市教委に対して見直しを求めました。市教委は「基本原則を定め、見直していきたい。 検討事項が生じた場合、外部委員で構成される図書館協議会に諮ってまいりたい」 と答弁しました。
 島根県地域人権運動連合会(大西修議長)は、 11月22日、島根県教育長に対し、県立図書館での小泉八雲著作の閲覧制限の解除を申 し入れま した。

非正規雇用の図書館司書

 学校においても、図書館司書が子どもの自由を守る立場で責任を果たすことが求められます。 しかし、図書館司書がその本来の機能を果たせるだけの待遇とはなっていないのが実情です。島根県の補助事業により県内小中学校に313人の司書が配置されていますが、全員が非正規という不安定な雇用形態や図書館運営の権限が与えられていない事情があります。
 松江市では、 2012年度、司書49人を雇用し、市独自で2700万円を投入しています。 全員を正職員化すると予算は3〜4倍に膨らむといいます。

「権力」 乱用の防止を

第二に、市教委と学校との関係です。
 8月28日に開催された校長会で市教委の“要請”を“指示” と受け止めたと批判する校長の発言があった一方、要請の再考を求めなかった校長側の対応を反省する声もありました。 そのほか要請当時の内容を記した文書が残っていないこと、市教委と学校現場の連携強化、指示と助言の区分の明確化を求める意見がありました。
 小手先の改善で終わるのではなく、憲法や子どもの権利条約にもとづき基本的人権について、市教委、学校、保護者、市民が認識を深め指摘し合える関係が必要だと痛感しました。市教委と学校との関係において要請と指示の明確な区分はただちに明確にすべきです。

議会は公正なチェック機能の発揮を

第三は、議会と執行部との関係です。
 2012年の12月市議会で「はだしのゲン」の撤去を求める陳情は不採択となり、結論がでたことを理由に市議会は問題発覚後、積極的な働きかけをしませんでした。
 日本共産党松江市議団は、 8月19日、市議会議長に対し、市教委から説明を求めるよう申し入れをしました。 しかし、議長は「議会の結論は不採択であり、その時点で終わっている。経過説明は各会派で行えば良い」 と、拒否しました。松江市議会には6つの会派があり、ひとつひとつ説明をする手間を考えれば、全員協議会を開催して一度に済ませた方が合理的にもかかわらず公式な場での説明を求めようとはしませんでした。
 問題が発覚した後に3通の陳情書が市議会に郵送されてきました。 閉架措置撤回を要請する内容でした。 これを委員会に付託するかどうかを議会運営委員会で論議しましたが、多数は、市教委が閲覧制限を撤回した後なので 「委員会付託は必要ない」 と突っぱねました。 委員会付託をすべきだと主張したのは共産党議員団の私ひとりでした。
 議会は執行部のチェック役ですが、ゲンの問題に関しては、 これを放棄した形となりました。 2013年9月市議会の教育民生委員会では、ゲンの問題について教育委員会側から自発的に経過の報告がありました。
 市教委幹部は、 「市議会のやりとりを聞く中で、過剰な斟酌をしてしまったかもしれない」と教育委員会議の場で述べていることからも、「不良図書」発言をした議員の影響があったことは間違いありません。 議会の多数会派の中の影響力のある議員の意向と市教委事務局とのなれあいが招いた弊害ではないかとの指摘があったとしてもおかしくありません。

多様な価値観認めることから

第四は、 平和教育の課題です。
 「無菌状態を作ればよい教育、 よい人格形成ができる」 という考え方がありますが、私はそうは思いません。 ただ、発達段階に応じた対応は必要と思います。 小学校低学年の児童への対応、中学生や高校生には戦争がなぜ起きたのかの本質を考える題材として提供し、考えてもらうことを学校でよく話し合うことが必要でしょう。
 平和教育を大上段にたって述べる立場ではありませんが、市民として平和教育にどうかかわっていけばよいかの私の考えです。 「戦争はしない」、「基本的人権が守られる」 ことが私の平和観です。 なぜ戦争が起きたのか、市民として問題解決のためになにをすべきかを考えた場合、戦争の怖さを感じ、伝えるのはその第一歩です。
 さまざまな歴史認識があります。 竹島や尖閣問題などをはじめ戦争や従軍 「慰安婦」 問題など認識の違いが議論とトラブルを発生させているのも事実です。 おおいに話し合うべきです。まずは多様な価値観が存在することを認め、事実と道理に基づいて、話し合うことから解決方向がみえてくるように思います。

主権者としての心意気を

 安倍政権が改憲を打ち出し、集団的自衛権をめぐるこれまでの政府の憲法解釈を無理やり変え、そのための立法措置をとろうとしていることは重大です。
 また、「新しい歴史教科書をつくる会」 が『はだしのゲン』は有害図書として教育現場から速やかに撤去するよう求める要望書を文部科学相に提出しました。地方都市・松江市から発した「はだしのゲン」騒動は、歴史認識、政治がらみの全国問題になりました。
 平和を愛し、人権と民主主義を守ることを望む団体や個人が力を合わせて改憲策動に反対し、主権者としての心意気をしめそうではありませんか。

(かたよせ なおゆき/島根県地域人権運動連合会事務局長)

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