五龍山高田郡上甲立村(高田郡甲田町)にあり、應水年間、宍戸朝家初めて此処に城を築く、末孫元続まで十一世の間居守す。柳城、同村にあり楊柳山、また菊山とも呼ぶ小山なり。一説によれば、朝家より数世此処に據る。六世の孫元家より五龍山に移るといえど家系によれば、始めより世々五龍山に居守せしと見へたり。おもふに朝家常陸より来る初めに暫く此処に據りしなるべしと、また祝屋城、深瀬村にあり。永正六年宍戸元家(悪四郎、左衛門尉と称す)五龍山を嫡子の源元に譲り、別に此処に城居す。その後隆家(元家の二男弾正忠)家成(深瀬式部)直良三人相続いて居守す。
宍戸家はもとは毛利と対立関係にあったが対尼子対策として毛利家よりの働きかけで、元就の娘(可愛)と源元の孫(隆家)と婚姻 |