吾が剣法の有るや、猶工匠の規矩有るがごときなり。故に教うる者
は必ず規矩を以てし、学ぶ者は必ず規々矩々を、立つるを次て変化生
ず。規矩を捨てて変化を言うは、誣に非ざれば則ち妄也
所謂規矩なる者は天地自然の理に出ず。天地は是の理を得て寒暑行
われ、日月は是の理を得て昼夜更る。一事一物一動一静の微に至る
まで是理有らざる者は莫し、況んや乃ち人は眇然の身を以て万物に
霊なる者は、心に是理具ること有るを以て非らず哉、而して今理有る
の心を以て、理有るの技に施す。豈(あに)誣(ふ)妄(もう)にして能く
す可けん哉。唯能くす可からざるのみならず、反りて之を害す。慎まざ
る可けん也。吾の剣に於けるや、技以て心を治め、心以て技を治む。
内外交々治まりて皆自然の理に循う。以てその理無き者を制す。これ
所謂規矩なり。苟も規矩の中に習熟し、真に積力久技の精心の正しく
して一毫の私曲のその間に動くこと無ければ、此を之吾が技の至誠と
謂う。
至誠の域固り到ること易からざるなり。課(結果)その域に至れば則ち
撃って中らざる無し。刺して入らざる無し、進むべくして進み、待つべくし
て待つ、處女脱兎(初めは処女の如く終わりは脱兎の如し)変化窮り
なし。敵に対し戦に臨み、彼の虚、我の実、刃を交えずして勝負判る。
然るに古今是の技を論ずる者、率(おおむ)ね勝負を運命に付し、或
いは奥秘(剣の奥義)を禅理に托す。之を詰れば則ち曰く以心伝心と、
是心を技と分かちて二と為すものなり、夫れ人の気質には剛有り柔あ
り、故に師と為る者或いは之を退け数(しばしば)亦術多きなり。然る
に今剣師或いは心の鑑(かん)空衡(こう)平(別注参照)を以て主とな
して、弟子を指導するに至る。亦此を以て喩(たと)えれば、進退する
所無く、操縦する所なし。その規矩果たして安(いずく)にある哉。
夫(か)の那須與一扇を屋島に射るが若(ごとき)は、古今称揚して、
或いは以て神助と為す。余を以て之を覯(み)れば、與一の技に於け
る習熟の極み至誠に至る。その之を射るに当たって復(また)疑惑為
し。
百発百中は固りその理なり。その且(しょ)(当然)なり。誠心の注ぐ所神
亦将(まさ)に之を助くるのみ。余幼少より剣を学び練習して倦(あぐ)
まざること今に四十有七年なり。近歳芸州に抵(いた)り、築山君に従
って吾が技の正統を知ることを得たり。大本已(すで)に立てばその末
益々備わる。我が門に遊ぶ者、斬に従事すれば、吾之を心に得て之を
技に施さん。皆以て学んで得べきなり。吾ャ秘する所有らん哉。
注釈(語釈)
工匠(たくみ俗に大工という)規矩(規矩準縄の略、規はぶんまわし
矩は、さしがね、規は円を作り矩は、方(四角)を作る。準は水もり平を
ただす縄はすみなわ、直を正す。規矩準縄なければ大工は工作するこ
とが出来ない、よって法則、標準、物事の準則を規矩という) 誣(しふる
こと、有を無といい、無を有という)妄(でたらめ)眇然(小さい)勢力久枝
(努力を重ねて技を練る)精心(心を一事に集中する)私曲(わたくし、よ
こしま、邪曲というに同じ)處女脱兎(初めは処女の如く終わりは脱兎
の如し、処女の如く振る舞い、脱兎の如く振る舞うは臨機応変の動作
をいう)虚・実(虚はすきがあるが実は充実して)詰(なじる)(問いつめ
る)以心伝心(心から心に伝える義で深奥の理義は言葉では説明し難く
心で悟るべきものということ)鑑空(鑑は手本手本とすべきものの空なる
をいう)
衡平(衡ははかりの竿、平行というに同じ、つりあい、心が動揺せず釣
り合いのとれていること)
大本己に立つ(惟(おも)うに、貫心流の奥義は精神の統一にある。
貫心とは心を貫く、或いは心に貫く意味で精神を統一することである。
古言に言う精神一統すれば(一事に注集する)何事が成らざらん。これ
が貫心流の大本である。雑念を排除し、その道にのみ精神を集中して
修練を重ねれば義は自ずから上達するというのである。)
誠心の注ぐ所(精神一統の境地をいう) |