第九話 近藤勇との珍試合

 文久三年(一八六三)が明け、翌四年は三月朔日に改元して元治元年となる。この年、物外、七十五歳。済法寺の住職を辞し、京都へのぼり、もっぱら国事に奔走した。前々から青蓮院の宮家に出入りしており、このたびは加賀・越前・尾張・土佐・薩摩の諸藩士のあいだをとびまわった。
 −文久三年三月に、将軍徳川家茂が上京した。朝廷では時に薩藩、時に長藩、時に会津・桑名が勢力交替して、あるいは尊皇攘夷、あるいは公武合体と目まぐるしく変転する。同年十二月、将軍二度目の上洛。船で大阪へ来て京へのぼり、正二位内大臣から従一位右大臣に進み、江戸へもどったのが翌元治元年六月二十日であった。
 諸書に、物外が上京して新撰組とのあいだにひっかかりの話があるのは、文久三年三月のこととしている。なるほど清河八郎が連れてきた関東の浪士隊が京で分裂し、のこった十三名から「新撰組」が新発足したのは、文久三年三月十三日からであるが、この同じ年に物外が上京したとは、とうていかんがえられない。理由は、その年には前に書いたように、三月から備中松山へ行って六月ごろまで滞在し、月末からさらに相当長期間、出雲国の松江にとどまっていたからである。
 物外が新撰組の近藤勇と試合をしたという話があるのは、やはり元治元年以後のことであったろう。新撰組は組織の人員が増加するとともに、洛外壬生(みぶ)村の地蔵寺・東祥寺・新徳寺そのほか近隣民家等に分宿していたが、慶応元年(一八六五)四月下旬には壬生の屯営を引き払い、西本願寺の集会所へ引越した。だから物外との試合は、その年月がはっきりわからなければ、壬生時代か、本願寺時代かを決定できない。
 そのころ物外は、南禅寺の塔頭に滞在して日々、京の町を托鉢(たくはつ)して歩いていた。たまたま通りかかった新撰組の道場の外、景気のよい竹刀の音に釣られて、何の気もなく武者窓からのぞいていると、ふとそれを見た若い隊員が、
 「御老僧は、のぞくくらいだから剣術は好きか」
 と、きく。
 「ああ、好きじゃ」
 「そんなら道場へはいってきて、立ち会って見たらどうだ」
 「そうだのう。関東方のお手並み拝見も結構だが、拙僧は托鉢でいそがしいから、そうはできん」
 「いそがしいったって、そうやってのぞいているではないか」
 きゅうに老僧をからかってみたくなったと見えて二、三人の隊員が出てきて、
 「まあ、そう言わずに一ちょうかかって来てみい。歳はとっても頑丈そうな御老人だ。骨っぷしの堅そうなところ二、三手の心得はあるにちがいない」
 「これは迷惑じゃ」
 「いいじゃないか。拙者たちもひまつぶしにこうやっている。決して手荒なことはしないから」
 「いや。手荒なことは構わないが・・・何しろ、その・・・いそがしいので」
 「いそがしい、いそがしいは、町人どもの言うことだ。いいから来い。さあ、はいって来なさい」
 無理に道場へつれこんだ。
 「では、しかたがない。ちと腰骨でも伸ばしましょうて」
 「御老体は何か流儀の手でも心得ているような口ぶりだな」
 「はいなあ。流儀は不遷流といいます」
 「不遷流−いっこう聞かない名だ」
 「田舎剣法じゃで、お聞きにならぬのも、もっとも」
 「用意は−」
 「何もいらんわ。この如意一本。さあ、どなたがお相手」
 手にした如意をかまえて、道場のまんなかに立った。
−以下、如意や木椀を用いての珍試合は『物外和尚逸伝』や『禅林奇行』(菅原洞禅著、大正四年刊)に見えるところだが、これは私には事実とは思われない。
 試合は実際にあったかもしれないが、こういう形の珍試合は講釈師のこしらえた話を、そのまま踏襲したに過ぎまい。
 田舎天狗か、粋興か知らぬが、まるっきり素人とも思えない。
 「こやつ、見かけよりも、あんがい手ごわいかも知れぬ」
 新撰組の隊士たちは、何となく、そう思った。
 何くそ、たかが田舎剣術と、たかをくくってやり合ってみると、出る者、出る者、かたっぱしからポカリ、ポカリ、とやっつけられて、テンで段違いで近づけない。
 「やめろ、やめろ。君たちの手事(てごと)で行くものか」
 さきほどから見ていたらしい、近藤勇が出てきた。
 「御出家、なかなかの腕前と見えます。身どもがお相手いたそう。近藤勇でござる。だが、どうも、その如意棒はこまる。立ち会いは竹刀で願いたい。」
 「出家が竹刀では型にならんでのう」
 「たってお願い申す。竹刀をもってもらいたい。それでないと試合の気分が出ません」
 「こまるのう。拙僧はこのごろは竹刀をもったことがないので・・・。そうだ、こうしよう。禅家の日常はこれ雲水で、わしは毎日町屋のおもてに立って托鉢している。如意がいやなら、この椀でお相手つかまつろう」
 首にかけたずだ袋から、はげっちょろの木椀を二つとり出した。
 近藤勇、これにはムッとした。
 いくら自信の強い坊主でも、新撰組の近藤勇と知って、木椀二個で試合しようとは、あきれ返ったやつ。よし、その儀ならば・・・と、近藤は長押(なげし)にかかっている槍をおろし、一振りすると冠せてあった鞘が飛んだ。抜身の槍というのだから、これでは真剣勝負。下手をすれば怪我もするだろうし、怪我どころか命にかかわるかも知れない。
 物外、しずかに身構える。へんなかっこうだ。右腕はまっすぐ前に突き出し、左腕はななめに振り上げた。どちらの指先にも、一つずつ木椀の糸底をつまんでいる。
 「さあ、どこからでも突いておいで」
 「ええ、口幅ったいやつだ」
 近藤のまなじりに、怒気が上ってきた。
 が、勝負は気魄や憤激だけでは、どうにもならない。瞬間の変化で修練した業がきまるのだ。
 「やあーっ」
 大喝とともに一挙にくり出した真槍−物外、芋刺しになったと思いのほか、ひょいと身をかわして、ガキッと鳴った二ッ木椀、しっかと槍の穂を挟んでしまった。
 引こうが、突こうが、動かばこそ、大盤石におさえられてビクともするものじゃない。
 「ううむ・・・」
 満身の力をこめて引っぱる拍子に、物外は機を見て木椀をはずしたから、近藤勇は自分の力で二、三間も、たじたじとうしろへよろめいて行き、どすんと道場の床板に尻餅をついてしまった。

次へ

トップへ
トップへ
戻る
戻る