第六話 拳豪往来

 安芸の剣客で一滴齊河内治郎という者、そのころ武術をもって関西に鳴りひびいていた
が、武者修行のため東遊する途次、物外の武名をきいて訪ねてきた。
 「そこもとの御来意は何であるか」
 と、物外は、だしぬけにたずねた。一滴齊、応えていう、
 「僕は和尚の拳下に殺されんがために来たのであります」
 物外、その言を奇なりとして、数ヶ月のあいだ一滴齊を膝下にとどめたが、一日、和尚は
次の一句を書きあたえると共に、ことばを付け足した。
  雷公の力も蚊帳の一重かな
  「柔道の極意というのは、すなわちこのことである。老いたる拙僧が、そこもとを殺活し
て授けるところは、このほかにないぞ」
 嘉永五年(一五八二)六十三歳。大本山永平寺でおこなわれた道元禅師六百回大遠忌
に上山随喜して、総都監の重責を果たした。このときにも越前家の武士十六人が中重門
から乱入したが、豪気の物外は彼らの襟髪をつかんで投げ出したため、備後への帰途、
福井の城下で待ち伏せられて刀槍で囲まれたが、和尚、屁ともおもわず、全員をつかまえ
て奉行所へ突き出した、という武勇箪もある。
 そのころ金沢藩士某が、京都に滞留中の物外と出会って宿屋で碁を囲んだ際、竹篦(し
っぺい)の打ちくらべをすることになり、まず某が和尚の手の甲に竹篦を入れた。
 「ずいぶん痛いわい。さて次は貴殿が受ける番だ。手を出されよ」
 と言う。某、やむなく右手を差し出す。ところが和尚が力を入れて打とうとする、そのしゅ
んかん、物外の顔色の物凄さに急に怖気づいたと見えて、ひょいと手を引いたため、和尚
の指は流れて下に置いた碁盤の面を、ぴしりっと打つ。その指の痕だけが、盤面にへこん
で残った。某は大いにおどろき、その碁盤を所望して国元へ持ち帰り、前田家にこれを納
めたという。
 かって東海道の旅先で泊まった宿屋で、隣室の二人の武士が騒ぎ出した。
 「この宿屋じゃ士分を待遇する礼儀がなっとらん」
 というのだ。番頭は平身低頭して許しを請うが、怒気はひどくなるばかり。物外、すててお
けずに割って入った。
 「御立腹はもっともながら、大勢の客が迷惑いたす。どうか許してやっていただきたい」
 二人の武士は、余計な口出しをしたといって物外に食ってかかり、手打ちにすると言い出
した。
 「じゃ、支度するんだな」
 「チョイいそがしくなりおった」
 といって法衣を着け、庭前にあった五人がかりでないと動かないような巨大な岩石を、ひ
ょいと庭のまん中へもって来てその上で結跏趺坐して、
 「さあ斬れるものなら斬ってごらん」
 と大見得を切ったから、武士たちは肝をつぶしてコソコソ宿屋から逃げ出した。
 あるとき弟子をつれて大阪へゆく途中、舞子の浜で風光に見とれていると、鼻先の岸の
近くを尾道の荷船が米を積んで、順風満帆で進んでゆくのを見た。和尚は大声で、
 「おーい、尾道の船だろう。おれは済法寺の物外じゃあー。大阪へゆくなら乗せてくれん
かのー」
 とさけぶ。船はとまらない。船頭がさけび返した。
 「こちとら順風に乗って走ってるんじゃー。無益に時をついやすことはできん。いずれは天
保山に着きますわい。和尚さん後から、ゆっくりおのぼりなさーい」
 船頭は、からかっているのだ。
 「いうことをきかないと船を止めるぞっ」
 物外、いきなり尻をからあげて股のところまでまくり、じゃぶじゃぶ水のなかへ踏みこん
で、船首をグッと両手でつかんだ。
 「これこれ、どいて下されよ。あれ、どうするつもりだ」
 船頭のさわぐのを尻目に、物外は船をひっぱって砂の上を松の根もとまで引上げた。
 「さあ、こうしておけば、やがて大潮で船もゆるゆる動き出すだろうて。後から御座れ」
 と言いすてて歩き出そうとしたから、船頭も顔色を変えて、あわてた。
 「和尚。冗談(てんごう)するな。乗せてゆくから船を水に戻して下され」
 そこで和尚は弟子に手伝わせて船を岸から押し出し、船頭に手をひっぱってもらって船
に乗った。
 因幡藩士の小林南越(なんえつ)が、播州三日月に近い山中を通行する折から
 「誰か助けて下さーい」
 という女の悲鳴を聞いた。いそいで駆けつけてみると、四十年輩の婦人が八、九歳らしい
女児をつれて、数疋の大きな野猿に取り巻かれている。野猿は母子の四方を囲み、牙を
鳴らして威嚇しているのだ。
 南越は足もとの石をひろっては猿に投げつける。数投げるうちには猿に命中する石もあ
るが、それくらいのことでは野猿を追っ払うことができない。そこへ通りかかったのが物外
和尚である。
 「お武家さん。そんなことではラチが明かんわ。よっしゃ、愚僧が加勢しよう」
 野猿の囲みのうちへ飛びこむなり、右に左に拳骨をふるって、なぐりかかった。超人的な
剛力だから、あたまをなぐられた猿は頭蓋骨を打ち砕かれ、目と口から血を流して即死し
てしまった。助けられた婦人は、蔵井又十郎という郷士の妻であった。
 右の母子を家まで送りとどけようと物外は小林南越と同道して出野の宿場へゆき、小さ
な飲食店で一杯のんでいると、戸外で騒々しい人声がする。
 「亭主、えろう騒がしいが、あれは何じゃな」
 ときくと、
 「この先の北条に、愚痴の多吉という馬子がいましてなあ。こいつ酒を食らうと手におえま
せぬ。自分の馬に荷物が着いていないと、往来している旅人の荷物を、無理に我が馬に
着けさせろといってぐずるんです。今もどこかのお女中が、ことわろうとして難儀していると
ころでなあ・・・」
 「荷物さえ着けてやれば、その馬子は得心するのじゃな」
 と物外がきくと、亭主は、そうですと言った。物外はぐるりと見まわした。
 「亭主。そこにある角石は何にするのでござるか」
 一個で四十三、四貫はありそうな石が、二個おいてあるのだ。
 「はあ、これは氏神さまの鳥居の根石にしようとて、取り寄せました」
 「しばらく拝借しますよ」
 どうするつもりか、古い酒菰を二枚もらって、その石を一個ずつ包んだ。
 「そこにある小倉の帯、もし損じたら愚僧が償います。二筋とも貸して下さい」
 そういって一筋ずつの端に一個ずつの包みを結びつけ、二筋の他の端を結んで、まん中
へ肩を入れて担ぐと、多吉の馬のところまで運んでいった。
 「なあ、多吉さんとやら。いやがるお女中の荷物を無理に着けることもあるまい。賃銭は
はずむから、この荷物を馬にたのんます」
 「ああ助かった。それじゃ・・・」
 と言ったが、包みが余りおもたいので持ち上げることができない。
 「上がりませんか。加古川まで馬に載せてってもらいたいのだがなあ」
 「ええ、載せて行きますとも。ううむ・・・ううむ・・・」
 気張ってもいきんでも、びくともしない。
 「上がらなければ拙僧が載せましょうか」
 「たのんます。馬は力が強いから」
 「それほど強いとよいのだがのう」
 そう言って物外がその荷を馬の背中の両側に載せると、馬はヒイーンと一声、前足を折
ったかと思うと、すぐに横倒れになった。
 多吉は、わんわん泣き出した。
 「馬を助けようと思うたら、この和尚さんにお願いするんだな」
 と亭主は言った。
 「さあ頭を下げて、これからは酒をつつしみますといえ。愚痴も言わない、馬の荷物のこと
で無法なことは致しませぬ、どうぞ助けて下されと言え」
 亭主に責められると、多吉は両手をあわせた。
 「お願いだ。いう通りにします。いう通りにします。」
 年代は判らないが、物外が江州から京へ帰る道で腹痛をおぼえ、駕籠をやとって叡山越
をした際、東山の裏手で駕かきが夜盗に変わった。物外はその一人を谷へ蹴落とし、あと
の一人に荷物をもたせて京まで歩いた、という話がある。
 伊賀上野藩藤堂家の柔術師範、大力で知られる某が、物外の大力を聞き、何ほどのこ
とがあろうと軽蔑して、面会をもとめた。物外は左の腰に常びていた紫檀製の木扇(長さ一
尺余・厚さ七分ばかり)を目前に突き出し、
 「坊主は忍辱柔和を本といたすから、腕力などは思いよりませぬなれど、いささか護身の
ためにこの具を用います」
 と言った。某は冷笑して、
 「ほう。僧の武術とは甚だ迂遠なものでありますな」
 その瞬間、物外の右腕むんずと伸びて、相手の上膊をグッとつかんで引き締めたから、
たまらない。苦痛をこらえてムムッと唸るばかりだ。
 「甚だ迂遠でお気のどくでしたな」
 と物外は皮肉をいう。男は主人に叱られた馬のような目付きになって、ひたいぎわが青
白くなった。手を放すと男は腕をさすり、声を出すこともできずに辞去した。

次へ

トップへ
トップへ
戻る
戻る