小説 河口にて
山根 芙美子
島根日日新聞 平成16年4月28日掲載
午前六時、私はフードのついたコートを羽織り、双眼鏡とコーヒーの入ったポットを抱えて家を出た。 友人の早坂と二人、車を駆って河口へ着いたのは六時半。冬の朝は真っ暗で何も見えない。耳を澄ますとひたひたと打ち寄せる水の音がするのみだ。外に出ると胴震いするほどの冷え込みで、顔がちかちかする。 「やっぱり、中だな」 煙草を一服すると、高い背を折り畳むようにして、早坂は車の中へ入った。 少し目が慣れると、宍道湖へ流れ込む斐伊川岸に並ぶ枯れ葦の茂みが浮かび、黒い流れが見える。 ところどころに残雪のような白い塊があるのは、積まれた砂であろうか。最近、積もるほどの雪は降っていないから、多分そうだろう。 時間が闇を吸い込むように、東の空が僅かに白くなった。 東といっても、まだ南よりである。七時ちょうど。湖の表は暗いが、水の量感がかすかに感じられる。 ポットのコーヒーを入れた紙コップを持って、早坂が降りてきた。 「もうすぐだね」 今日の日の出は、七時十二分のはずだ。晴れとは言えない薄ねずみ色の雲に蔽われながらもオレンジ色がきざし、濃くなると見えた瞬間、コウ! と鋭い声があがった。思わずそのほうを探して目をやる。先ほど、残雪か採砂の山かと見えたいくつかの白い塊のあたりだ。続いて、ふた声。白いものが動き始めた。 コハクチョウの集団だ。 近くに工事現場があるので、鴨ぐらいしか見られないと思っていたのに、思いがけない出会いである。見ると、早坂は素早くカメラを構えて連写に夢中だ。 白い塊は、ほぐれて二百羽あまりのコハクチョウになり、湖のほうへ出て行くもの、まだ眠たそうに動かないもの、それぞれである。二羽の雛を中にして番いのコハクチョウが近づいてきた。しゃっきり伸ばした長い首は、凛として気品に充ちている。圧巻に時のたつのを忘れた。この南限へようこそ、である。 夜が明けて、明るくなった彼方へ視線を移すと、宍道湖の北岸、秋鹿あたりであろうか、黒い鳥の一群が扇形をなして舞い上がった。ぐんぐん近づく。真雁である。鈎になり、棹になりしながら、瞬く間に上空を過ぎ、チェック印が点になっては消える。ばたばたと群がってゆくのは鴨のようだ。 何年か前、あれは三月であった。 土手に車を停めて早坂と二人、田圃の中の道を歩いたことがある。日が落ちて間もなくであった。 「ここら辺には、居らんねえ」 そう言った途端である。思わず息を呑んで二人とも立ちすくんだ。荒れ田の一区画全体に立錐の余地もないほど、真雁がいた。幾羽かの見張りが首を伸ばして警戒している他は、てんでに小さな声でおしゃべりを交わしている。その声が何とも可愛い。あの川で何匹も泥鰌を食べたとか、いつものご老人が撒いてくれたトウモロコシがいい味だったとか、今夜は降らないね、などなど。そっと近づくと、羽毛に包まれた集団の体温がふわりと伝わってきた。 もう一回は秋の終わりの頃、用事で平田へ行き、夕方の電車時間に合わせて急いでいる時であった。 よく晴れた高空を真一文字に区切って西へ向かう雁の列を見た。南北に長い鎖のように、少し撓みながら粛々と進んでゆく。小さな鳴き声が降ってくる。急がず、そして遅れないように、統率の取れた渡りに見とれて電車に遅れそうになった。 地上に人間の道路があるように、空には鳥たちの道があると、誰かに聞いた覚えがある。 早坂とは小学校の同期生だったが、全然記憶に無かった。男女別クラスだったし、中学は父親の転勤で東京だったなどと聞いたのは、二、三年前のことだ。 年に一度か二度、出雲へやってくる。定年で雑誌社をやめたフリーのカメラマンである。神西湖のほとりの探鳥会で一緒になり、枯れ葦の間に転がったフイルムのケースを拾ったことで口を聞いたのである。お互い個人的なことはほとんど知らない。還暦を過ぎると、いろんなことがどうでもよくなる。 携帯が鳴って、都合がよければ半日付き合う。 「野暮用に追われどうしだ」 「お互いにね」 そんな会話を交わしたことがある。私は、いつか野暮用がなくなったら、一緒に暮らそうと言ってくれるような気がして、密かに期待している。 河口からの帰り、家の前で私は車から降りた。 「間に合えば、朝の便で発つよ。じゃあ」 レンタカーのルーフが、淡い日差しに一瞬光って角を曲がった。 |
◇作品を読んで
斐伊川河口の風景を描こうという思いから書き始めたが、それでは面白くない。ならば、架空の私の男、早坂を登場させたらどうだろう、ということに思い至ったと、作者は語る。その結果、随筆として書こうとした作品は短い小説になった。 随筆は、体験から自分がどう思ったかを書く。小説が少し違うのは、そこにストーリーがあるということだ。この作品も風景の中に登場人物を立たせたことによって、小説の方向へと歩き出したのである。 作品には、優れた描写が幾つかあり、それが斐伊川河口の風景をリにしている。その切り取られた風景に浮かびあがる淡々とした男女の交流は、まるで映画のワンシーンのようである。また、さりげなく書かれた真雁の会話は、童話的でもあり、それらによって味わいのある作品に仕上がった。 |