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随 筆 鬼 平
         
山 根 芙美子   
                                                                                 島根日日新聞 平成15年9月24日掲載

 盲腸をこじらせて、一時期入院したことがある。
 十数冊の文庫本を買った。池波正太郎の『鬼平犯科帳』である。筋書きを追うことで痛みは緩和され、一日一冊のつもりが三日で全てを読んでしまった。面白いのである。
 文庫本には解説が必ず書かれている。その内の一つに、「夕方、満員電車の中で、前に立ったり座ったりしている乗客を見渡すと、その中の三人が雑誌を開いている。おなじ位の箇所である。そう言えば、今日は発売日だ。『オール読物』に載っている池波正太郎の『鬼平犯科帳』一話完結ものを、帰宅が待ち切れず社内で読んでいるサラリーマンと思われる男たち。」――というのがあった。
 何年かたって私は「ひびき」という音訳グループのあることを知り、その一員になった。小説やその他の文章を読んでテープに吹き込み、目の不自由な方たちに聞いてもらうという形のボランティアである。
 もともと、読むことが好きな上に、声を出せば、その中の人物になったような気持ちになる。一度はやって見たかったことの一つであった。
 しばらくたって、今度は何を読もうかと思った時、ふっと『鬼平犯科帳』を思い出した。
 再読してあらためて感じたのは文章が明快で、テンポが早く、登場人物が生き生きしていることだ。途中、県外からも問い合わせがあると聞き、のめり込んでしまった。二十数冊全巻を二、三年かかって読み上げた。
 テープは、松江のライトハウスを基点にして主に県内、要望があれば全国へダビングして送られる。ほとんどが一方通行だが、時たま、大きな文字の葉書が届いたり、電話がかかったりすることもある。音訳奉仕の醍醐味かもしれない。
 ある時、利用者の方たちを招いて懇談会が開かれることになり、手分けして電話をすることになった。受け持った近在の方に趣旨を説明したり、出欠をうかがったりするのである。
「ひびきの会の山根と申しますが」
 と言った。
「あ、あんた鬼平の山根さんだね」
 打てば響くように、男性の声。
 目の不自由な方は、その分聴覚が鋭敏だと聞いている。音訳の私の声を記憶されていたのだ。『鬼平』を聞いてもらっていた。その一言に言い知れぬ満足を感じた。
 最初に本が出てから三十年近くになると思うが、今でも本屋にずらりと並んでいる。時々思いがけない知名人の愛読書のなかに『鬼平』が顔を覗かせたりすると嬉しくなる。そしてやっぱりな、と思うのである。
 解説とか、後書きなどでは、よく食べ物の話が取り上げられる。それも寒い時の湯豆腐、春先の分葱のぬたなどの類いで庶民の食欲を刺激する。この作者の他の随筆を読むと、とても年期のはいったグルメであることがわかる。
 鬼平は、江戸時代の火付け盗賊改め方の長官であった長谷川平蔵の異名である。今でも、テレビで再放送や再々放送をやっている。筋が分かっていても、つい見てしまう。
 たくさんの一話完結ものの中で、一つをあげるなら、六巻の第五話「大川の隠居」が私は好きだ。老盗と平蔵の駆け引きが絶妙である。おまけに大川の主といわれる五尺あまりの鯉が出てくる。
 この間、訪ねてきた友人、しかも彼女は私よりひとまわり若いのだが、ふと読み始めたら止まらなくなり、全巻揃えて、ただ今三回目の途中だという。ことほど左様に面白い。

講師評

 書きたい文章の題名が決まるということは、その作品のテーマがはっきりした状態で書こうとすることである。この作品は、題名が面白い。というより人目を引く。冒頭で、それは池波正太郎の「鬼平犯科帳」だと分かる。その本を知っている人は、ああ、あれかと知るが、そうでないと何のことだろうと思い、読み始める。題名が大事な理由のひとつである。鬼平犯科帳とストレートに出してしまうのはどうだろうか。ふわりと包み込むような題名には、余韻がある。
 鬼平のことから視覚障害者のための朗読ボランティアの話に移り、その本を読むことした。読み易い、聞いてよく分かるということは、その文がいかに優れているかということである。文章を書くときに、それを声に出して読んでみるのがよいと言われるが、まさにそのことである。