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随 筆 置き忘れ
         
森  マ コ   
                                                                                          島根日日新聞 平成15年8月26日掲載

 若い頃から置き忘れが多い。さっきまで目の前にあったのに、どこに置いたのか、すぐに大事なものが見えなくなる。家のカギ、小銭入れ、読みかけの本。そのたびに、辺り構わず大騒ぎをばらまきながら探し回る。
 その繰り返し。
 サイフが見えなくなった。
 それまでの行動をずっと振り返ってみる。買い物をして、あの時はあった。その後、ガスの集金人に払って……タンスの上に置いて……記憶をたどり……ない! 今度は、朝起きた時からを思い起こす……ない! タンスの上までは覚えているのに。
 そうだ、その後、掃除をしたのだ。もしかして、そばのごみ箱にポロッと落ちて、そのままゴミ袋に詰めたかなあ。ゴミ袋の中にもない! どうしよう! 家の中を探し回る。ない! 探す範囲を畑にまで広げる。もうここまで探してないのなら……ない! やっぱりタンスの上で、記憶はパタッ。
 夜、お風呂に入ろうと下着の入った引き出しを開けたら、パンツの上にサイフが乗っている。そうか、タンスの上から少しだけ開けていた引き出しの中に落ちたのだ。
 あぁ、よかった。
 五年ほど前から、眼鏡をかけるようになった。遠視のために、早い話が老眼というやつである。もの忘れに加えて老眼。もうほとんど体は老人である。いや、そういう歳ではないが、実は老人という言葉にひどく惹かれているというか、好きなのである。
 ともかく、その老人の私は、あろうことか大社町の「ひろげの浜」へボベ貝採りに出かけたのである。
 目が悪いので眼鏡をかけて岩場を回り、海中に貝を見つけては水中に潜り、小さな貝を採っては大喜び。後で、その貝をどこに置いたかと探し回るのには多少苦労はしたものの、たくさんの貝をどう料理しようかと、帰りの車を運転しながら夕飯のことで頭の中はバラ色だった。
 突然気がついた。ない! 眼鏡がない。
 今度は海だ。タンスの上とは違う。またもや記憶をたどってみる。だが、今度はすぐに思い出す。だって、たった十分前のことだもの。ボンネットの上だ。車を道路の片側に停めた。見る。ない! 当たり前だ。今まで走ったのだから。十分間もだ。いま来た道を徐行しながら引き返す。
 同乗の娘には、「いい! あんたが私の目になるのよ!」とまで言い放ち、もう貝飯のことなど頭から吹っ飛んでしまっている。ない! 親の気持ちとは裏腹に、娘は(海は広いな)を歌っている。
 元の場所まで戻ってみる。
 ない! あぁ、もう私は字を書くことも、本を読むこともできないのね。車を降りて、草むらを探す。ない……。
 昼、太陽、夏真っ盛り。まさに海へ行くにはもってこいの天気のなか、五メートル先の道路の真ん中にキラリとダイヤモンドの輝きを見つける。あの光はもしや――と駈け寄る。あった。私の眼鏡だ。しかし、それは無残にも、ぺっしゃんこ。レンズには、よく陶磁器にある細かいひびの貫乳が入り、カエルがミイラ化したような私の眼鏡であった。
 あぁ……、なんでだろうなあ。
 置き忘れが多いのは、私の性分とはいえ、真剣に探すと必ず出て来る。だが、タイミングが悪すぎた。だんだんと自分自身に腹が立ってくるのがわかる。
 あの眼鏡は、私の大のお気に入り。あれじゃないと嫌! などと思っても、もう修復不可能だしなあ。久し振りに海に来た記念に、壊れたままとっておこうかな。今度は、現金にも見つかったことを喜んでいる自分が悲しい。
 交通事故に遭ったのは私の眼鏡だけ。体じゃあなくてよかった。今後の戒めになる。もしも自分が人を轢きでもしたら死をもっても償えないと仏様に祈った矢先から、今度は新しい眼鏡を買う楽しみのことを考えている。相も変わらず、置き忘れしても懲りない自分が情けない。 
 眼鏡さん、許してね。安らかに眠ってください。


講師評

 よく物を置き忘れる、と作者は自分で認めている。もちろん、年齢のせいではないと思われるが、考えてみれば誰にもよくあることだ。従って、読み手はそれを自分のことに置き換えて読む。身につまされもし、ふと笑いもする。語り口の面白さと軽妙な文がそうさせる。たとえば、しつこいと思える程に重ねられた「ない」という言葉と、モノローグでありながら「あなた」に呼びかけているかのような文体が効果をあげているからである。さらに、それを支えているのは、文章全体にただよう楽しい雰囲気ではないだろうか。
 文章を書くことは辛い、うまく書けないなどという過程を通って、最後に自分でも満足のいくものが書けたときは嬉しいものである。苦しんだことを忘れてしまう。文章を書くことは楽しいということを教えてくれる作品である。