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掌編小説
  今夜は七夕                 宮 崎 真 然

                        島根日日新聞 平成14年7月10日掲載

 あの女に逢える――
 あの女と交わす言葉は――
 あの女の表情は――
 車の窓越しに夜空を見上げた。鉛色の雲のかたまりが、瞬くように飛んでいく。織姫と彦星が年に一度出逢う夜だったな、と恒は思った。
 今夜は七夕――。

 出雲市のスーパー、パラオの南には、高瀬川が眠るように流れている。川通りから入ったパラオの入口には、高齢者の作品コーナーがあり、書・絵画・編物などが展示されていた。
 商店の殆どは、毎年七月に入ると営業時間を十一時まで延長して商いをする。その日は、今年になって初めての土曜夜市だった。
 恒は、作品展コーナーで見るともなしに立ち止まっていた。
「チョット! これ何かしら」
 甘えるような声がした。釣られて眼をやる。見知らぬ女が傍らに寄って来る。突然の、しかも女からの呼び掛けに驚いた恒は、周りを一瞥したが自分だけである。
「さあ、なんでしょうね――」
 女が指した毛糸の手芸品は、食器洗いなどに使うアイディア商品のそれだった。
「アッ、これってタワシじゃあないかなあ」
「――と思いますよ」
「ソオー……」
 少し鼻にかけて語尾を上げ、女は呟く。猫と女は、そっと傍に来る、と聞いたことがあるが、将にこのことかと思った。この年になって見知らぬ女性から声をかけられ、悪い気はしない。いや、むしろ何かを期待しているかもしれないと自分を振り返る。
 その女は、四十を少し出たくらいだろうか。豊かな胸は、熟れた果実そのもののように見える。それが本当の年令よりも若く見せているかもしれない。斜めに被った帽子の広いつばの下から、色白でつんとした形よい鼻が見える。哀しさを含み込んだような眼差しが、恒を見つめていた。
 一瞬、無音の刻。
「私、この頃、夜が怖いんです」
 慰めの言葉を探そうとするが、思いだけが頭の中を駆け巡る。
「それは……」
 恒は、女の横顔に眼を移した。
 横から見る女の顎は、少ししゃくっている。何かの受け口にも似て、男を安心させるようでもある。丸みの際立つ胸に目がいった。
「今、独りなんです。夜になると、どうしようもなく哀しくて……」
 初めて出会った女の言葉にしては、度が過ぎると恒は思った。
「よかったらご一緒にお食事でも……」
 女は、堰を切ったように一気に吐きだした。
 事実は小説より奇なりという。恒は、将にこのことかと思った。四十五年の人生で初めて巡り会ったロマンだった。神のお恵みかもしれない、とまた思った。だが、あまりにも唐突だった。何か女に魂胆があるのかもしれない。小説によくあるではないか。女と一緒にいた部屋に、関わりのある男が脅しにやって来るという話を読んだことがある。
「いえ、今日はちょっと……」
 とりあえずそう言ってみた。
「そう? じゃあ、お時間ができましたらここに電話してください」
 女は手帳を出し、電話番号を書いたページを破り取ってくれたのだ。

 恒は、年甲斐もなく悶々とする惑い煩う三日を過ごした。四日目に意を決して、電話をしたのだ。
 約束した場所に行く車の中から、空を見た。
 星が一つ流れた。
 女とどうなるかという期待の中で、何が起きてもいい、どうにでもなれと思った。四十五年の間に初めて出会った機会なのだ。体が熱くなった。
 今夜は七夕――。


※講師評
小説の舞台が自分の住んでいるところ、知っている場所だと、期待を持って読む。もちろん、ストーリーも面白くなけねばならない。 出雲のスーパーで、中年の男が女と知り合った。女が誘う。男はどうしようかと考える。「年甲斐もなく」と恒は思うが、大人の男なら年齢にかかわらず誰でも心が動く。
 小気味よい展開と切れ味よい文が、そんな中年男の気持ちを見事に描き出しているが、女が食事に誘うあたりをもう少し書き込みたい。だが、原稿用紙四枚までの制限では、難しいかもしれない。
 最後の一行がタイトルにもなり、女との期待を漂わせている。                                    (島根日日新聞客員文芸委員/古浦義己)