小 説 霊の存在
原 正 雄
島根日日新聞 平成15年6月11日掲載
――ウーッ―― 無気味な声がした。この真夜中に一体なんだろう? 一瞬、背中に冷や汗が流れるのを感じた。暗闇の中で、雄二は目を開いた。何も見えはしなかったが、探るように頭を左右に動かした。眠りは完全に醒めていた。人が苦しんでいるような声でもある。西の座敷の辺りらしかった。 (母の声ではなかつたか? どうしたのだろう?) 隣りに寝ている弟の一茂は、何も気付かないのか、よく眠っている。雄二は、一茂を揺り起こした。 「おまえは、西の座敷から出た」 雄二は小さな声で一茂に言った。 「おらは玄関から出えけん」 兄に倣うかのように、一茂も細い声を出す。 急がなければと思うものの、暗闇での手探りだ。雄二は玄関へ廻り、履物をつっかけて出ようとして足を止めた。懐中電灯があった方がいい、と思ったからだ。だが、いつも置いてある場所になぜか見当たらない。暫く探した。ようやく見つかった懐中電灯を手に、声のした辺りの西座敷に見当をつけて急いだ。暗くて、よく分からない。懐中電灯は、明るくなったり暗くなったりする。(こんな大事なときに――)と雄二は舌打ちをした。一茂はどこに行ったのか姿が見えない。 襖を開けて座敷に入り、透かすようにして見ると、うつ伏せに倒れている母が見えた。抱き上げて顔を見ようとしたが、なぜかよく見えない。 息は? と顔を近づけると、止まっているようにも思えた。 その時である。何か大きな重石を乗せられたような息苦しさが襲ってきた。 はね除けようと、もがいた途端に目が覚めた。夢だったのだ。それにしても、今の夢は何だったのか? 雄二は、暫くの間、呆然としていた。 (そうか、昨日は彼岸の中日で、里へ墓参りに行った時、母の話をしたからではないか) 雄二は、その時のことを思い出した。 「今年は、おか(母)さんの五十年忌だわ」 雄二は、墓の前で一茂にそう言ったのだ。 「五月に法事をしーけん。日にちが決まったら、また電話しーけんの」 「そうか! もう少し前かと思っとったが」 「……」 「あれからもう五十年になーか」 雄二は言葉に詰まった。遠い昔のことが思い出され、ぐっとくる思いが胸の中から湧き上がってきた。 母は、無口で愚痴一つ言わない優しい性格だった。戦時中の「産めや増やせ」の時代に、九人もの子どもを産み、子育てと働くことばかりで、苦労の多い生活だった。そのせいか、三十八歳の若さで逝ってしまった。 葬儀は、雄二が高校二年生の、梅雨の蒸し暑い日だった。ちょうどその時、雄二はツベルクリン反応が陽転し、発熱と発汗の繰り返しで、一ケ月近くも学校を休んでいた。高熱と悪寒がひどくて床から出られず、葬儀にはもちろん出ること出来なかったし、その時のことはよく覚えていない。 母親は乳ガンだった。左の乳房の下の方に、しこりができ、いつの間にか拳大になった。とりあえず町内の開業医に診てもらった。乳ガンの疑いがあると診断された。 翌日、母は私の父に付き添われて、出雲の今市にある県立中央病院に行った。検査の結果は予想通りであり、かなり進行していて、直ぐにでも手術をしなければならないということだった。 今でもガンの宣告を受けると大きなショックだろうが、ましてや当時の医学では治らないと言われたことと同じで、母の胸中はいかばかりだったろうか。 躊躇している決断を父に促され、直ぐに入院手続きをし、二日後に乳房全体の切除手術をした。手術は、五時間かかった。 切除した乳房はカートン様の器に入れられていた。雄二達は医師にそれを見せられ、説明を受けたが、その内容は動転していたこともあって記憶にない。 二ヶ月ほどの入院をし、年が明け、暫らくして退院した。それからは、週に一回程度のコバルト照射やリハビリなどのための通院治療が始まった。炬燵に足を入れると温もりで痛いのか、外に出してさすっていた。だんだん痛みも激しくなり、苦痛に耐えかねてウンウンと唸る日が多くなってきた。そして、ほどなく母は逝った。 雄二は、ガンと戦う母親の姿を眼にしながら、足をさすってやることも、優しい声をかけることもしなかった。若さか、性格か……。親不孝な息子だったと、今にして思う。 雄二は今や孫のいる高齢者の仲間入りをした。その年齢になって漸く、人の情のようなことに気が付き、後悔しきりである。 五十年という永い時の流れを経ても、あの頃と変わらない三十八歳の母の姿に、夢とはいえ、遭遇することができるとは不思議だった。親不孝な息子でも、子を想う母親の慈愛の心と、五十年忌という仏の引き合わせで夢の中に出てくれたのではなかろうか。 雄二の胸は痛んだ。だが、夢の感動は忘れることができない。重石で胸を押さえつけられようと、いつかまた母の霊に会いたいと思う。 これまで、霊の存在など否定していた雄二だが、信じる気持ちに変わってきたのだった。 |
講師評
夢の中で五十年振りに母と出会った。そして、高校生の頃にあった母の葬儀のことから、優しかった母が苦しい時代を乗り越え、力尽きて逝ってしまったことを思い出す。苦しむ母に、何も手助けをしなかった幼い頃の自分の有り様を後悔する。霊の存在など信じなかったのだが、五十年忌という節目に、夢とはいえ母の姿を見た感動と科学では割り切れない何かを作者は書きたかったのである。 このことは書いておきたいという思いから書かれたこの作品は、光るそれである。 誰でも、このことが書きたいという思いから書く。書いているうちに事実と違う思わぬ展開になることもあるが、それは発想がさらに豊かになったと解釈したい。面白くない本当のことより、素敵な嘘の方が面白い場合もある。 |