随 筆 人生雑記録
柳 楽 文 子
島根日日新聞 平成15年6月4日掲載
我が家のちっぽけな小庭は南向きの縁側から真正面にあり、木々の中の一本が、糸ヒバである。私が物心ついたときから、庭の主であるかのように、でんと腰を据えている。二、三年に一度、主人が丸坊主のように刈り込み、すっきりさせている。 天気の良い日であった。糸ヒバの重なり合った枝が作る木漏れ日が、縁側にいくつもの楕円形をした陽だまりを作っている。 私は、そこに座布団を敷き、物思いに耽るのがたまらなく好きである。すっかり太陽が西に傾き、縁側の温もりがなくなってしまうのも忘れることが再々ある。その日も時の経つのを忘れるほどで、一時間が、あっという間に過ぎていた。 幼かった頃の祖母とのやんわりとした会話。主人との三十五年間の結婚生活の節目節目のシーン。ガンで母を亡くしたときの悔しさなどが思われる。 父が脳梗塞となり、やがて痴呆が始まり、一瞬たりとも目が離せなくなってしまったことは、ことさらに印象が深い。あまりに長く続いた父の介護に、とうとう私がうつ病になり、父娘共倒れになってしまった。手当たり次第、老人施設に手配をし、幸いにも父を入所させることができた。介護中、父の息の根を止め、その代償に自分の生命を絶とうと連日のように苦悩した。その揚げ句、私は結局入院したのである。 娘が念願の大学に入学できたことも思いの中に強くある。そして、数年後、娘から、この人が私の主人になる人だと紹介された。それを聞いて、自分の人生のパートナーをしっかり掴んだことに嬉しさがこみ上げてきた。 六年間の結婚生活のうちに、あれよあれよという間に三人の孫をプレゼントしてくれたのである。 そんなこともあって、私のうつ病は回復したかと思えたが、結局、ニヶ月ずつ三回も入院してしまった。三回目の入院中に、突然、主人は原因不明の光をしだいに失うという眼病になった。 嬉しいこと、踊りだしたくなるほど楽しいこと、悲しいこと、身を切られるような辛いことがあった。生きるということは、縮んでは伸び上がる兎跳びのようなものであると思う。飛び続ければいつか息切れがして、倒れてしまう。膝をかがめて縮んでいれば、息が蓄えられる。それも、ゆったりとあせらずに、マイペースでこそ長く持ちこたえられる。 あまりの辛さに、生命などいるものかと何度も何度も思った。その度に、嬉しかったことをちょっぴりずつ心の引出しから手探りで探し出した。だから、何事にも耐えられたのである。 愛読している瀬戸内寂聴の『孤独を生ききる』という本に「人間しょせん一人である。孤独を自分のものにし孤独だからこそ、自由に生きる特権がある」という一文が、いつも私の頭から離れない。 何人の家族がいようと、百人の友人がいようと、一緒に死んでくれる者はいない。喜びを分かち合ってはくれても、死にまで参加してくれることなど決してない。 私は、努めて孤独になる訓練をした。島根日日新聞主催の文学教室に通い、自室にこもり、原稿用紙に一日に二時間でも三時間でも向き合う努力をした。 二、三行だけ書いて、立ち止まる。その後の文章にはどう筋書きを持っていけば、私の意思が通じるだろうかと、頭の中をいろいろな言葉が駆け巡る。とうとう続きは書けなかったこともあるが、それでもよかった。私は、三時間ばかり孤独の中に身を置くことができたのだから。そして、好きな文章に真剣に出会えるよう、懸命に取り組んだ。人間は、期日が空欄の約束手形を、この世に生を授かった瞬間から与えられている。誰もその日を予約することも、記入することもできはしないのである。生きる楽しさも若しさも、期限に向かってただ粛々と歩み続けるだけである。 全力ではいけない。全力で走れば酸素を補給し、水と食物を急いで補う必要がある。何年も立ち止まってはいけないが、ちょっと歩みを止めることが好きな人は、少しの酸素と食物で自分を支えればよい。 人間の生き方、心と姿勢は、地球上の人の数と同じほどあるのだ。簡単に、あれがいい、これがいいなどと、答えなど見つけられるものではない。はっきり言えば、解答はないのである。 凡夫である人間は、それを繰り返し繰り返し求め続けている愚かな生き物である。人間がそんなに賢ければ、太古の昔から連綿と続く不倫や戦争は、地球上からなくなっているはずだ。相も変わらず何千年も繰り返している。 聖書の一節に「人間の戦いなど神の目から見ればアリが右往左往して衝突しているようなものだ」という意味のことがあった。全くその通りだと、おおいに共感した。 私は、風が吹くままに自在に生きたいと、この頃強く願うようになった。般若心経の一ページに、「諸悪莫作衆善奉行」と人生訓が説かれている。要約すれば、人間は良い行いはしなさい、悪い行いは決してするなという意味だ。全く当たり前のことである。しかし、三才の子どもに、人を包丁で切るなと言えば、言いつけはきちんと守る。だが、四十才、五十才になっても、それが守れない人間がこの世に溢れ返るほどいる。嘆かわしいことだが、現実である。それが、日本中、世界中で繰り返されている。 愚かな人間の一人である私は、どんな生き方を学ぼうかと、迷っているうちに手形の期日がきてしまいそうだ。 そろそろ陽も翳り、縁側に座って物思いに耽っているのも寒くなってきた。この続きは、今度晴れたときにでも考えよう。 |
講師評
生まれてからの来し方を時の流れに従っていくら書き連ねても、読み手は退屈で読む気が失せる。感激したり、いい経験をしたと思って書いているのだろうが、自分がただそう思っているに過ぎない。どう素晴らしいのか、どのように自分の人生に影響を与えたかが説明されていなければならない。書くということは、赤裸々な自分を見せることである。そういう文章は読み手の共感や感動を呼ぶ。 この作者は、冷徹、冷静に、少し離れたところから自らを眺め直した。この文章のように、客観的な視点が自分の中にあって書かれたものは、読んでもらうに価する。文章を文章として成り立たせようと思うなら、読み手がいるということを忘れてはいけないということを示した作品である。 |