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随 筆 無人駅の一刻
              園 山 多賀子 
 
                                                                            
                             島根日日新聞 平成15年5月21日掲載    

 電車に乗るつもりで、以前は『大和紡前』と呼んでいた『科学館前』の駅に急いだ。
 三月に入って、晴れてはいるが風は未だ冷たい。暑さ寒さも彼岸までとか、彼岸過ぎて七雪などと古くから言うが、まだ違和感がある。
 駅は改装されたが、ホームまで五十メートルもあり、歩行者にとって不便だ。老人などのことを考えて欲しかった。そんなことを思いながら、ホームに辿り着いた。大体に乗降者が少ない。科学館が出来ても、マイカー族が多いからだ。
 駅には人影もない。そのうち、七十才位とも見える老婆が近付いて来た。女同士の気安さで、ベンチに並んで電車を待つ。
 私は、いつも通っている文学教室を十二時に終え、大津の大曲に住む先輩のKさんを久し振りに見舞うつもりだった。途中、本町の羽根屋の前で足が止まった。お昼時に訪問するのも不躾だと、道草のつもりで釜揚げ蕎麦を食べて温まっていた。
 彼女が私に語りかけてきた。医大からここまで歩いたので疲れた、としきりにズボンの上から足を撫でている。医大からここまで歩けば、若い者でもかなりの距離だと思った。医大で支払うつもりで一万円札をポケットに入れて来たのだが、どうしたはずみかポケットに穴が開いて札が消えてしまった。無一文になって支払いも出来ず、ここまで歩いて来たのだと言う。
 上着を裏返し、ポケットの穴を見せた。米子から独りで出向いたが、お昼も食べていないのでお腹が空いた、どうしようか、とも言う。
 私は、おかしいと思った。
 米子へ帰るならば、出雲の駅から汽車に乗らねばならない。こんな電車の駅でうろつく筈がない。大体、一万円札を財布にも入れず、いきなりポケットに突っ込むというのも常識では考えられない。
 暫くして、彼女は私にお金を貸してくれ、と言う。二千円程でよい、必ず返すからと住所を書いた紙片を渡してくれた。腑に落ちないこともないが、「困った時は、お互いですからネ」と、少し不憫な気がして仏心と行きがかりということもあり、二千円を出して渡した。すると、もう千円お願いします、である。仕方なくもう千円渡した。
 でも、考えてみるとおかしい。
 今度は、「買い物もしたいし、食事もしたい。一万円、いや、五千円でもいいからお願いします」である。何という厚かましさだ。私は驚いた。これはてっきり詐欺だ。私は彼女のいいカモだったわけだ。腹が立った。
 前歯は殆ど抜け、容姿もみすぼらしかった。初めからお金を返すつもりなどないのだ。
 だが、私は思った。そんな年寄りが人を騙して、お金を奪うなど浅ましい行為だ。少し不憫にも思えたが、「一万円は困ります。入用なお金だから」と断った。
今さら三千円を取り戻すのは良心が許さない。仕方がないが、三千円は諦めて進呈しようと、心に決めた時、電車が入った。私は後も見ず、電車に乗ってしまった。彼女は遂に「ありがとう」の一言も残さなかった。
 何か虚ろな気持ちであった。
 考えてみると、馬鹿げた災難だった。詐欺だと気づいた時は遅過ぎた。私はやっぱりお人好しのお節介だろうか? 
 彼女は遠くの米子などではなく、近郊の住人かもしれない。得たりとほくそ笑んで、何か食べているかもしれない。彼女に少しでも知性があれば、浅ましい根性を棄てて明るく生きて欲しい。私の方は、三千円をみすみす取られたのは口惜しいが、帰りにタクシーを使ったと思い、また、恵んだと思えば気が楽だ。
 その後、電車で出雲へ出るたびに、科学館前のベンチが気になる。
 何日経っても郵便受けには、彼女からの便りは入っていない。電話も入る筈はない。
――良心を大切にして詐欺に遭う

講師評

 作者は電車に乗るつもりで、いつもの駅に来た。誰もいない無人駅である。無人駅だから、この事件の舞台になったのだろうか。そう考えると、的確なタイトルである。
 一人の老女が近づき、お金を無心した。つい、同情してお金を貸す。ところが、くみし易いとみたのか、要求はどこまでもエスカレートする。お金を貸す側の心の動きがよく書けている。結局は詐欺だったのだが、作者の優しい心根がそのまま、柔らかな文章で表現された。文も短く歯切れがよい。最後に書かれた、気になるベンチ、何も入らない郵便受けのくだりは、きっちりとした結びになっている。
 自戒でもあるが、文章は書かねば上達しない。そういう点から言うと、精力的に作品を生み出すこの作者の熱意と努力には頭が下がる。短いものでもいいから書き続けることである。