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掌編小説
   午後の縁側                 原   陽 子

                        島根日日新聞 平成14年7月10日掲載

 初夏の午後です。明るい陽が縁側を照らしています。
 健ちゃんの家は小さな農家で、宍道湖を南に見下ろす高台に建っています。裏山の竹やぶがさわさわと風に揺れ、庭の西側には大きな柿の木が、陽射しをやわらげるように若葉を繁らせています。茅ぶきの屋根は、夏涼しく冬暖かです。家中の誰もが、それが好きで古くなっても建て替えようとはせず、昔のままの姿で何代も続いているのです。
 昼間は父さんも母さんもお勤めなので、ばあちゃんが畑で仕事をしながら留守番をし、小学校二年生になった健ちゃんの帰りを待って、いっしょにお茶を飲むのが日課になっているのです。
 出雲地方のお茶事は、漬物や煮しめをいっぱい用意し、小さな湯のみに煎茶を何杯も何杯も注いで飲むのが習わしです。小さい頃からばあちゃんとお留守番をしている健ちゃんは、それが楽しみになっていました。
 今日もいつものように学校からまっしぐらに帰ると、ランドセルを背負ったまま、ばあちゃんの傍らに座り込みました。
 ばあちゃんはめずらしく新聞を広げて、熱心に読んでいます。
 ――コンビニのおにぎりから指の一部が出た――
 健ちゃんにも読める字で大きく書いてありました。
「痛かっただろうね」
 横からのぞき込みながら、健ちゃんは、さも自分が指を切ったかのように、大きく顔をしかめました。
「そうだね。ちょっと切っただけでも痛いもんね。ばあちゃんなんかドジだから、しょっちゅう怪我するだろ。ついこの間だって、いつも使ってる鋏の先で指傷つけちゃったよ。ほら……」
「あ、ほんとだ」
「だろ――。思わず(痛っ!)て、声出しちゃったけど」
 まだ傷跡の残る左手中指の腹を見せました。
 ばあちゃんが読んでいる記事は、おにぎり製造中にあやまって機械で指を切断し、おにぎりにまざったまま出荷されてしまったという話です。二人は指入りのおにぎりを口に入れてしまった人のことよりも、指を切り落とした人のことに思いを馳せて話し合っていました。
 縁側の下の犬走りの先には、花の好きな母さんが育てているプランターが、いくつも並び、ペチュニアやポーチュラカなど、色とりどりの花が咲きほこっています。
 プランターの陰には、とかげの親子が潜んでいました。もうずいぶん前から、この家の庭に住みついているのです。
「僕が前に健ちゃんに追っかけられて、尻尾をつかまれてしまったときにさ、いっしょうけんめい逃げようとしたら、先っちょが切れてしまったことあったでしょう」
 とかげの親子の話は、人間に聞こえません。
「そうそう、あん時はほんとあぶなかったね」
「でもさ、僕、ちっとも痛くなかったよ。それにさ、いつのまにか、また生えてきて、元通りになっちゃったもんね」
 子どものとかげは、いかにも誇らしげにちょっと尻尾を反らせました。
 とかげの背中に陽が当たり、きらりと光って健ちゃんの顔を照らしました。
「お昼ごはんが余っちゃったんだよ。おにぎり食べるかい?」
 新聞をたたんだばあちゃんが、いたずらっ子のような目をして健ちゃんの顔をのぞき込みながら両手の指先を三角おむすびの形にし、きゅっきゅっとすぼめて見せました。


※講師評
「青藍」第一回(平成十四年六月二十六日付)で扱ったものと同様に、新聞記事から想像を膨らませて書かれた童話的作品である。前々回の作品とは、またひと味違う。
 作家中上健次は、昭和四十九年十月に千葉県市原市で起きた両親殺人事件の十行ほどの新聞記事にヒントを得て、小説「蛇淫」(映画化は「青春の殺人者」)を書いた。小説の素材はどこにでもあるというよい例である。
 この作品は、学校から帰って来た健ちゃんがおばあちゃんと新聞を見ながら話し合う情景が美しい文章で綴られている。指が切れたという話は、素材としては暗いが、とかげの親子の会話がそれを救い、さらに、最後に書かれた、おばあちゃんのいたずらっぽい仕草がこの作品に明るさをもたらしている。「誇らしげに尻尾を反らせた。」という文も筆者の観察と表現の鋭さを感じさせる。
                     (島根日日新聞客員文芸委員/古浦義己)