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随 筆 そろばんの試験   
              田 井 幸 子
 
                                                                            
                             島根日日新聞 平成15年2月26日掲載

 電車を乗り間違えた高校受験生のために、快速電車が臨時停車したことを、どの新聞も好意的に伝えていた。読んでいて心温かくなった。
 同じ受験生を持つ母親として、また自分自身が同じような体験をしたこともあって、情景を思い浮かべながら思わず拍手し頭を下げていた。
 私の思い出、それは小学校四年生までさかのぼる。秋の初め頃の日曜日、そろばん試験日だった。三年生から一緒に習い始めた友達が、すでにほとんどやめてしまい、一人で試験会場に行くことになっていた。会場である私立高校までは、自宅から歩いて二十分から三十分のところだ。
 快晴だった。途中で祖母の家に寄ったので、よく覚えている。祖母はたらいでゴシゴシと洗濯をしていた。やはり一人で行くことに、多少の不安を抱いていたのだろう。心を落ち着かせるために、大好きな祖母が洗濯をする傍らで、今日の試験のことなどを話していた。
「六級と五級を受けるんだ。今までは早い時間からだったけど、難しくなったけん、遅くから始まるよ。私も上級の仲間入り。すごいでしょ」
「ふーん。続けてやって良かったね。がんばってくるだわ」
「うん。じゃあ行ってくるけん」
 祖母と話をしたことで少しばかり気持ちも晴れる思いがし、歩き出した。友達が一緒なら近いと感じる道のりも、一人だと長い。そろばんを教えに来てくれるバイトのお姉さんのことなど、考えながら歩いた。会場になっている高校の生徒さんでもある。
 高校の先生が、たまたま祖母の家の二軒隣りに塾を開かれたのは、私が小学校三年生の時だった。最初は、物めずらしさも手伝い、大勢の生徒で賑わっていた。先生の他に時々は、先生の奥さんや二、三人のバイトの人が教えに来てくれることもあった。そのうち友達が一人やめ二人やめ、ある日曜日などに来たのは、たった三人ということもあった。そんな風だったから、だんだんと先生の姿を見ない日が多くなり、バイトのお姉さんだけに教わる日が増えた。
(今日の試験、あのお姉さんたちも来ているかな。イオちゃんと呼ばれている人は、面白くて好き。もう一人のきれいなお姉さんは何て名前だっけ) そんなことを考えながら歩いているうちに会場に着いた。受付は試験のある教室の前で、すぐにわかった。しかし教室は閉まっており、受付には制服姿のお姉さんが一人だけ。表示は、確かに「六級試験会場」となっている。事態を悟った私は、言葉より先に涙がこぼれてしまった。
「六級受けに来たの? もう始まったけど……ねぇ。ここで待ってて。大丈夫。ここで待っててね」
 私の顔を覗き込むようにしてそれだけ言うと、彼女は廊下の向こうに消えて行った。途中で誰か別の人に私のことを頼んだらしく、同じ制服の人たちが取り囲んで、しきりに慰めてくれた。
 やがて、受付の彼女が息を切らして戻ってきた。
「はぁー、いい、よく聞いて。これから五級の試験が始まるから、その後、一人で六級の試験を受けてね。大丈夫。先生に頼んであげたから。ふぅー」
 私は、受験料が無駄にならなかったことにホッとした。母子家庭で、母が夜昼となく働く姿を見ていると一円でも惜しい気持ちが先に立つ。一度に二つも受けるのは失敗だった。そんなことが頭を巡り、私を慰めてくれたお姉さんに、「ありがとう」が言えたかどうか、定かでない。
 しかし、ヒックヒックとしゃくりあげていた私の顔が、徐々にほころぶのを見て安心されたのか、「がんばってね」の言葉を残して、さよならされた。
 やがて六級の試験が終わり、ドアが開かれた。同級生の男子が、ポカンとして私を見ている。(お前、遅刻したのか)と言っているようで恥ずかしかった。
 気を取り直して、五級の試験に臨んだ。終わってみれば、やはり受かる自信なし。続いて六級の試験を特別に受けさせてもらった。この頃には、もう自分を取り戻していた。いつもどおり出来たと思った。
 帰る時が来た。結局、イオちゃんにも、きれいなお姉さんにも会わなかった。けれど、知らないお姉さんたちが、私を助けてくれた。私は次の週にはきっと、あのことをイオちゃんに話して、お礼の気持ちを伝えてもらおうと思った。
 帰り道は、来た時よりも短かい。祖母はもう洗濯を終えただろうか。祖母の顔が浮かんだとたん、私は走り出していた。いろいろな感情――悔いや親切・思いやり・はげまし・なぐさめ・希望――で、私の胸はもうはち切れそうだった。
 無事に高校受験を終えられた、あの中学生さんも、私と同じように一目散に帰宅されたことだろう。大変喜ばれたお母さんから、お礼の電話があった、と記事は結ばれていた。