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    京都・旅の想い出    
                       
       目次 慶子                                                                                                          平成21年11月26日付け島根日日新聞掲載

 「京都一泊旅行に参加しませんか。今年はインフルエンザ流行のため、参加者が少ないからぜひ……」と声をかけられた。
 これまで日帰りバスの旅には何度か参加し、それぞれが楽しい想い出として残っているが、外泊は不安がある。夜、寝られるだろうか! 二日目には足が痛くなるかもなどと、心配になるのだった。
 旅行案内を見て驚く。京都市の寺院を二日間で、それも七箇所もお参りするのだ。ちょうど拝観してみたいと想っていた所もある。不安を抑えて参加する気持になり、気変わりしないうちにと早速申し込んだ。
 当日の朝七時半、雨が降っていた。皆さんの殆どが、傘をさしての集まりだ。バスの中から雨の景色を見ながら、京都へと向かった。
ところが、思いもかけず二日目は晴天に恵まれた。雨靴を履いている方もあるというのに……。
 京都で、心に残ったのは醍醐寺である。最初に眼に入ったのは五重塔。昨日の雨と異なり一番高い所が青空の中に、そこだけが特別だとでもいうように屹立しているのだ。
 醍醐寺は、弘法大師の孫弟子、理源大師聖宝が貞観十六(八七四)年に創建した。こんこんと醍醐水が湧き出る山を譲り受け、准胝(じゆんてい)(じゅんてい)、如意輪の両観音を刻んで祀ったのが醍醐寺の始まりである。
 玄関を入り左手はお屋敷が続くが、それより、右側の池に眼が留まった。中の島を三つ造り、多くの橋で連ね、池のまわりに多数の名石を用いた豪壮な庭園である。回廊式庭園なのに、建物内部からも眺められる。
 豊臣秀吉が、名石「藤戸石」をはじめ多くの海石を運ばせて造ったと、パンフレットに書かれていた。
 池に見とれ我を忘れ、ふと振り返ると、国宝に指定されている表書院が上段、中段、下段の間に分かれているのが目に入った。それぞれの襖絵が、また素晴らしい。あじさいの絵などなどを時の過(た)つのも忘れ見とれてしまった。今日一日だけでは、理解できない宝物の山々である。
 帰りのバスの中で、奈良県桜井市に嫁いだ娘達のことを想いながら、京都の街並みをシルエットにして古都の太陽が沈んでいく姿に見入った。
 今回の旅行を決心したもう一つの理由は、娘の家族が近くに住んでいるからだ。今年八月、母の七回忌の法要を行って以来、会っていない。孫達三人は皆元気かなあ! と思った。娘が桜井市に嫁いでから、既に二十年近くが過ぎている。当初は、仕事が忙しくなると電話が掛かり、私も喜んで孫の子守などに出掛けていた。新幹線で京都まで行く。その都度、市内の古寺巡りに思いを駆られながら、孫の顔を想い出し、奈良線、桜井線と乗り継ぎ、巻向駅で下車するのだった。孫は、この春、高校一年生のはず。娘達の住まいは、最近よく新聞で報道されるようになった箸墓古墳≠フ小高い丘の景色を見ながら散歩できる所である。
 醍醐寺での休憩の折、ふと娘を想い出して電話を掛けてみた。元気な声で返事が返ってくる中で、大人とも子供ともとれない低く太い声がする。尋ねると孫の長男だという。一年足らずで身長が十センチ近くも伸び、母親よりも高くなったと話す。驚いた! 近々会ってみたいと言って電話を終えた。
  孫と娘達に会える時間はなかったものの、このような充実した旅はそう簡単にできるものではないと満足しているうちに、バスの心地よい揺れが子守歌になり、いつの間にか眠りに誘われていた。
 旅を終えて数日が経った。拝観したあちこちの所に関係した書物を繙く。新しい知識に浸るのも喜びである。

◇作品を読んで

京都の一泊旅行に行かないかと声を掛けられた作者は健康を気遣ったが、思い切って出掛けることにした。
 躊躇はしたが、やはり参加してよかった。これまで観ることのなかった醍醐寺や素晴らしい風景の数々が喜びに溢れた文章で綴られている。
 桜井市に嫁いでいる娘のことを思い出した。行ってはみたいが団体旅行である。電話をすると成長した孫の声も聞こえた。会うことはできなかったが、充実した旅であったと作者は満足して、この作品を書き終えた。
 作者は最近になって文章を書く機会が増えたが、これから少しずつ書きためればいつかは素晴らしい人生の記録になることだろう。