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    寝覚めの嵐    
                       
       京新 祥                                                                                                          平成21年11月19日付け島根日日新聞掲載

 寝床で目を覚ました。カーテンのまわりから光が差し込んでいる。もう日は昇ったようだが、まだ目覚まし時計が鳴らないから、六時にはなっていないだろう。
 一週間前から耳鳴りがひどくて、医者にかかっている。耳の中で、何かがわんわんと鳴って聞こえる。ずっとトンネルに入っているようだ。突発性難聴と診断された。ストレスが原因で罹るのだからリラックスするように、と言われている。
 一昨日には、なかなか直らないなら入院もありうると脅されたのだが、耳の中がうるさい以外はなんともない。頭が痛いわけでもなければ、身体がふらふらするのでもない。おなかも空く。
 ところが、昨日は、頬がほてり、心臓がどきどきして、身体を動かすのさえ億劫だった。医者の一言がストレスになったのだろうか。耳鳴り、のぼせ、動悸と来れば更年期障害だろうか。
 今日は土曜日だが、夫は出勤すると言っていた。目覚ましが鳴るまで寝床の中にいよう。
 仰向けで軽く目をつむっていると、胸が締めつけられる感じがしてきた。ちょうどアンダーバストを細い紐で縛られているようだ。息はできる。手首を握って脈を診ると、静かに普通に打っているのがわかる。なのに苦しい。
 狭心症の発作か。
 二年前に一度経験している。その時もらった薬がある。あわてることはない。様子をみよう。
 すぐに治まったものの、二度目がやってきた。それも、まもなく治まった。
 三度目が大きかった。細紐で胸をぐいぐいと締め上げられるようだ。寝たまま横向きになり、膝を曲げて身体を丸める。汗が全身から噴き出す。隣に寝ている夫に救急車を呼んでもらおうか。
 いや、その前に薬だ。薬があるではないか。今こそ使う時だ。
 身体を丸めたままうつ伏せになり、手を伸ばして、枕元の引出から『ニトロール』の錠剤を取り出す。飲んではいけない。舌の下に入れるのだ。
 舌の下。舌の下。
 すぐには解けない。
 舌の下にあった塊が、どろどろになって、まだ、そこにある。効くのだろうか。たまった唾と一緒に飲み込みたくなる。ぐっと我慢する。舌の下にある血管に吸収させるのだ。
 そのうちに、どろどろは残っていたが、痛みがやわらいできた。
 今度は吐き気がする。
 胸の痛みは治まりつつあるものの、吐き気がひどい。薬が舌下に残っているから、口の中のものを出してはいけないだろう。いや、薬は余分がある。痛みは引いてきたのだから、吐いてしまおう。また痛んだら、また含めば良い。それより、耐え切れなくなって、布団の中に戻してしまったら、後始末が大変だ。余裕のあるうちに、適当なものに吐き出そう。
 目の前に、さっき夫が持ってきた朝刊があった。これにしようか、いや、まだ読んでないからもったいない。それに吐瀉物がいっぱいだったら、布団が濡れてしまう。ゴミ箱にしよう。あれなら、いっぱい吐いても大丈夫だ。
 左手を伸ばしてゴミ箱を探しだし、顔の前に持ってきて、口の中のものを吐き出す。胃からこみ上げてくるものはなかった。
 身体を丸めたままうつ伏せでいると、汗が引いていく。吐き気も消えていく。痛みは戻ってこない。
 嵐は去った。
 寝具がびっしょりと濡れて、身体が冷たくなっている。寒い。
 やがて、目覚まし時計が暢気に六時を知らせてきた。

 初めての発作のとき、死ぬのかと思ったが、怖くはなかった。ただ、「心臓が止まって、死ぬんだわ」と考えただけだ。だが、人間、簡単には死なないようだ。今回、こんな程度では死なないのだろうな、と同時に、後遺症はいやだと思った。
 たとえ救急車を呼んでも、病院へ着いて処置されるまで苦しいだろう。人工呼吸などされて、肋骨を折られるのも嫌だ。救命のために電気ショックなどの処置は受けたくない。痛いこと、苦しいことは大嫌いなのだ。
 常々、いつ死んでもかまわないと考えている。今、この瞬間に息絶えてもかまわない。死んでしまえば、生活の未整理部分の恥など知ったことではない。
 元気で死にたい。眠りながら死にたい。
 私の狭心症の発作は、ストレスによって起こるのだそうだ。ストレスが原因で、耳鳴りとダブルで襲ってきたのか。ストレスに弱い人間ということか。だが、ストレスフリーの生活など無理だ。
 前回の発作も今回同様、朝、目覚めたときに起きた。当分、朝の目覚めが怖い。

◇作品を読んで

 狭心症というのは、心臓の血管に関わる病気のようだ。それが原因になり、心筋梗塞などが起きるという。また、最悪の場合も想定されることもあるようだ。
 タイトルにある“嵐”は何だろうと思って読んでいくと、狭心症だということが分かる。作者は目が覚め、数日前からの体調などを考えるとどうやら狭心症のようだと思った。痛みはしだいに強くなる。薬を探す。飲む。吐き気が襲う。七転八倒という言葉があるのだが、まさにそのことだろう。リアルに書かれているだけに迫力がある。
 症状は治まった。“嵐は去った”という語句が、タイトルのそれと的確に対応し、作者の死生観ともいえる結末部分によって、全体がうまくまとめられている。