TOPページにもどる   ウエブ青藍トップにもどる

    想い出に残る音楽会   
                       
       目次 慶子                                                                                                          平成21年10月29日付け島根日日新聞掲載

 東京は六本木のサントリーホールへ、『ガラ・コンサート「響」』を聴きに行くことにした。サブタイトルに「琥珀の輝き ヴィオロンチェロ」とあり、更に、正装コンサートとパンフレットに書いてある。誰もどんな服装で行くのだろうかと気になり、新しいスーツと靴を買った。
 入場券は発売日から、既に一週間以上も過ぎていた。電話をしてみた。空席は最上段のみである。即座に申し込んだ。
 だが、その席で細かい音が果たして聞こえるだろうか。不安はあるが、そのような経験も大切だと判断した。
 平成二十一年十月三日、その日は朝から快晴で、久し振りの飛行機に心がはずんだ。窓から見えるものは、流れの速い雲。綿のように、ふぁふぁ漂う雲々……など。平素の生活では味わえない様子が続く。地上が見えたと思ったら「ドッスーン」と大きな音と共に、羽田に無事、着いた。
 音楽会場に着くまでが、大変だ。松江と異なり、バス、電車、地下鉄など、何に乗れば目的地に着くのか。あちこちで何度も尋ね、会場が見えた時はホッとした。
 サントリーホール入り口に敷かれた赤い絨毯はすばらしかった。
 ガラ・コンサートのプログラムを見て、また驚いた。低音弦楽器のチェロ=Aコントラバス≠フみが、独奏楽器の音楽会なのである。これまでヴァイオリンの独奏でしか聴いたことのない、サラサーテ作曲、ツィゴイネルワイゼンが、コントラバスの独奏と書かれていた。
 独奏者、張達尋(ジヤンダツシェン)氏が左手の親指も使い、太い弦を上下にすばやく動かしながらの演奏は、音の高低に響きの差はあるものの、すばらしいものだった。ツィゴイネルワイゼンは、これまで何度も聞いたが、コントラバス独奏は生まれて初めてである。すごい拍手だった。
 また、ロッシーニ作曲、チェロとコントラバスの二重奏は、語り合われる二人の会話にも似た細かい音の組み合わせの曲だった。時に高い音も聞かれ、低音楽器での技術の巧みさも見聞する喜びを感じた。
 ソプラノの独唱は、八人のチェロ・アンサンブルという珍しい伴奏で聞くことができた、などなど……。
 これまでに聞いたことのないハーモニー≠ノ時間を忘れ、気がついてみると開始から二時間が経過していた。
 最後はエルザー作曲歌え、いま賑わしきひととき≠聴衆全員が東京交響楽団の伴奏で歌うことが出来た。歌いながら目頭が熱くなった。久々のことである。
 私は大学時代、オーケストラの授業で、コントラバスを弾いていた。メロディーを演奏するより、リズムを刻んだり、低音を弾いていた思いのほうが大きかった。
 今回の音楽会で、低音楽器にも演奏方法がいろいろあることを知った。左手を太い弦に速く、細かく動かしても、柔らかい低音を遠くまで響かせることができる。その巧みな技に感動したのである。
 最上段の席で聞こえるかどうかなどという懸念は、いつの間にか吹き飛んでいたのだった。

◇作品を読んで


 東京のサントリーホールへコンサートを聴きに行くことにした。サントリーホールは、クラッシク音楽の、それもコンサートの専用ホールとして昭和六十一年に開館した。パイプオルガンやシャンデリアなど、豪華な施設としても知られている。
 久し振りの東京とあって心が躍る喜びが、冒頭に綴られる。だが座席は最上段しか残っていなかった。果たして、自分の思うような音が聞こえるだろうかと不安になる。
 大学時代に弾いていたコントラバスに出会い、その独奏などに驚いている間に、たちまち感動の時間は過ぎていった。作者は音楽が専門である。短いけれども、その視点で語られた内容は素人にもよく分かる。最後の段落に書かれた不安の解消は、冒頭とうまく呼応している。
 こういう内容の作品は、その事柄に出会った後、感動が薄れないうちになるべく早く書いておくことである。