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    赤川歩道散歩(レッドリバーウオーキング)   
                       
       天従 勝己                                                                                                          平成21年10月1日付け島根日日新聞掲載


 ウオーキングは健康によい。散歩は精神安定によい。
 私が初めてウオーキングが素晴らしいと感じたのは、十五年も昔。
 当時は広島の廿日市の住宅団地で、狭いながらも我が家住まいでした。
 子供二人も成人し、仕事に就いていました。
 私達夫婦は共働きで、お互いにマイペースを尊重し、そして、家事を協力分担していました。
 その当時、私の体重はなんと七十七キログラムで、身長は百七十センチだったのです。
 家内は、団地内の主婦連三、四人で夕食後にナイトウオークを行っていました。
 正月休みのある晩のこと、ウオーキングの仲間が正月のせいで誰も集まらんから、暗い夜の一人歩きはイヤだ! と、家内が私にお声がけ。
 夕食後、寝転んで片肘枕でテレビを見ていた私は、仕方ないなと、付き合いで三十分ほど歩いたのがウオーキングの始まりでした。
 継続は力、という言葉がありますが、それ以来、十五年間、歩き続けています。
 私が考える散歩についてのイメージは、例えば、日本三景の一つ、世界遺産に登録されている安芸の宮島が舞台で、黄金色に色づく紅葉の下、未舗装の小道を息の合う二人が仲良く手をとりあい、秋の澄んだ空気を感じ取りながらゆっくり歩くということです。青春の頃、何度か楽しんだことを覚えています。
 六十路にさしかかる二歳前の年、勤務先で行われた定期健康検診の時、糖尿で精密検査が必要と診断されました。
 それ以降、糖尿病予備軍の仲間入りを宣告されたのです。実母の遺伝を受け継いでいるので仕方がないと、自分に言い聞かせ、それ以降、毎月一回の通院を続けています。
 ある日の午後、いつもの内科の待合室でのことです。
 本棚のなかに、『歩く人はなぜ「脳年齢」が若いか?』という本のタイトルが視野に飛び込んできたのです。興味を覚えました。
 とっさに取り出しました。目次をめくると……。なるほど、十五年間続けてきたことは、この著者の言われていることと同じだと思ったのです。我が意を得たりとはこのことで、自信を深めたわけでした。
 その本の内容のうち、三つ程拝借します。

一 楽しく歩くと、脳の年齢を重ねていても若く見える。だから、毎日せっせと歩いている人は、脳年齢が若々しい。
二 こうしているうちに、気持ちが若返り、脳が若返り、肉体も若返る。ぼけ知らずなのである。
三 若さとは必ずしも年齢のことを意味しないというのが、わたしの持論だ。

 巻末には、大島清 京都大学名誉教授医学博士とあります。この著者も、鎌倉で毎日のようにウオーキングをされているのでした。
 二人で歩くときには楽しく会話をしながら、一人で歩くときは擦れ違う人がいるので、独り言や、笑ったりしないほうがよいとも書かれています。
 この本を読んで、歩いてみたいと思い出したのが、出雲市駅の南側を流れる赤川に沿う道でした。赤川は、一級河川・斐伊川水系です。「新都市出雲の快適ふれあいの水辺」というキャッチフレーズもあり、中高年令者には懐かしい昔の小川を思い出させる場所なのです。
“大正橋”から“ほたる橋”にかけての千三十メートルの工事区間を、平成五年から七年を要して完成させた、と書かれている事業内容の案内板が本宮大橋の北側に建っています。
 我が家から、歩道の東端にある“ほたる橋”まで往復すると約五十分かかりますが、七つある橋は、一つ一つのデザイン、色が異なり、それぞれの橋の面白さがあるのです。水の流れには、ところどころに堰が設けられており、そのせせらぎの音には潤いを感じます。早朝、黄昏、四季を問わず、年中のウオーキングに最適の小路です。
 私がウオーキングを続けることができている理由の一つは、愛犬トラ君を飼っていることであり、愛犬と共にということです。
 続けることで、メタボとはサヨナラ。七十キロの体重を維持し、身長と体重の割合から、健康度の目安として使うB・M・I(ボデイ・マス・インデックス)の値は二十五をキープしています。
 おまけに知り合いの歯科医からは.八〇・二〇どころか、九〇・二〇のお墨付きまで頂いているのです。

◇作品を読んで

 誰にでもできる健康管理の一つとしてウオーキングが注目されている。ダイエットはもちろん、ストレス解消にも効果があるうえに、費用もかからない。作者は偶然とでもいうべき、あるきっかけから始めたそれが、愛犬と共に散歩という副産物もあり、十五年も続くことになって、それは的確に数値に反映するものとなった。その喜びが、溢れた文章である。
 ウオーキングが日常のものとなった作者の目に、「歩く」という文字がタイトルにある本に目が留まった。その本から、歩いてみたい斐伊川水系赤川に思いが飛ぶ。
 作者の趣味の一つは、この作品のような随想文を書くことである。それは常に「書く」という視点で、ものを見るので、普段は見過ごすであろう周囲の風景にも目がいくのである。