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    トロンボーン  
                       
       高木 さやか                                                                                                          平成21年7月16日付け島根日日新聞掲載

携帯電話のアドレス帳に、“トロンボーン”という名が入っている。ニックネームを授けるのが大好きな我が携帯は、他人が見たら誰なのか首を捻り返すものばかり。まともなお名前など皆無に等しい。
 ちなみに、我が娘は“速射砲”であり、一言申せばお仕舞まで聞かぬうちから、ソプラノ調の声でまくし立てるからだ。
 速射砲の旦那様は“吉宗”で、我が家の八代目の人物だ。
 トロンボーンとは、十数年来の病い友人である。慢性疾患で入院した折、同室になって知り合った三日後、谷啓が得意としていたトロンボーンが、自然に脳味噌のひだに現れた。
 時の総理総裁の如き、朝・昼・夜とメッセージがコロコロ変わる世の中で、彼女はきっと平安時代に生きるのが最もふさわしいと、日夜思い続けていた。
 言動、容姿、装いの三拍子も四拍子も、その時代に登場いたす有名な女性にそっくりである。
 透けるように色白なポッチャリした素顔と、薄赤い頬紅にコンパクトに整った唇にほんのり挿した口紅がそれだ。
 ご主人からの「足が太いし、どこがウエストか定かでない。ズボンは穿くな」と、乙女心をグサッと突き抜けた言葉の暴力に、装いに関しては無言で対抗し、冠婚葬祭の時はもちろん、春夏秋冬を問わず履物がやっと見える程度のロングスカートで、シャナリシャナリと、日々おっとりして暮らしている。
 彼女とは、月三回程度だが、共に大好きな温泉に赴く。
 彼女と最初に温泉へ行った時の、ローカル的な動きに“トロンボーン”と命名した感性は、我ながらアッパレと賞賛しておいた。
 脱衣場へ、彼女と同時に入る。私は、夏時期なら、ものの一分間で素っ裸になり洗い場に行ける。しち面倒なガードルやら、ストッキングなど身につけていないからである。だが、彼女はまずトイレに行く。どうせ裸になるのに、何をモタモタやっているのか出て来ない。特別せっかちでもなく、テキパキ動くのが得意なほうでもないが、いささか呆れて先に入った。
 顔と身体と洗い、髪をシャンプーした一連の流れが終わり、ゆっくりと温泉に浸っていた。
 梅雨時期、五分間も浸かっていれば沢山だと感じて出ようとしたその時、彼女は品々の温泉グッズを抱え入ってきた。
「上がって待っているから、心ゆくまで温泉気分を楽しんでね」
 髪を乾燥させ、備え付けの化粧水をペタペタ塗りまくり、一応身だしなみを整え、お休み所でコールコーヒーを飲みながら、タバコをくゆらせていた。
 待ちあぐねて四十分後である。入る時以上の、ばっちりメイクでお出ましなされた。
 付き合うほどに、トロンボーンには慌てるという言葉は、死語であると強く感じている。
 ちなみに、我が崇拝して止まない島根日日新聞文学教室の古浦講師は、“綴り方の天才”と入力してある。

◇作品を読んで

渾名は、文学作品にも使われている。夏目漱石の『坊ちゃん』に多く登場するのは周知のことで、『源氏物語』の光源氏などもそうだ。
 作者の作品は、いつ読んでも楽しませてもらえるものだが、この作品はニックネームの面白さと意表をつく語句で笑わせる。タイトルにあるトロンボーン、更に、吉宗、速射砲などは、なるほどと思う。いささか個人情報に属するもので異論が出そうだが、それがないのは作者の磊落さによるものだろう。
 トロンボーンさんは発表前の原稿を読まれたようだが、特段に異議は出なかったと聞いた。使われた「ニックネーム」という言い方よりは、むしろ親しみを込めた「愛称」という雰囲気が強いのだろう。
 余談だが、綴り方の天才というのは違うように思える。