大きなしあわせ
平里 葉月 平成21年4月30日付け島根日日新聞掲載
夫と花見に行った。毎年の夫婦の行事である。花は見たいが、人ごみは嫌いだ。だから、桜並木沿いをドライブするだけである。三刀屋川沿いや加茂の桜並木に沿った道路を走ってもらった。 「私が花を愛でるから、あなたはよそ見をしないで、前を見て運転していてね」 いつもの私の要求である。 ドライブ当日は、晴れて程よい暖かさだった。前日に雨が降ったので空気は澄んでいて、風は微かにそよぎ、花は満開である。まさに花見日和だった。 渋滞気味だった花見会場をはずれると、車は流れるように進む。道の両側に広がる田畑のあちこちで、農作業をしている人を見かける。 「のどかねぇ」 「のんびりできるなぁ」 「こうしていられるのは、しあわせなのよね」 その前日、夫の甥の結婚式に参加した。本人たちの親の兄弟姉妹一家が招待されたのだが、平里側は、たいていが母親と息子という組み合わせだった。甥の姉一家を除けば、私たちしか、夫婦揃って出席することができなかった。出席したくても、連れ合いは既にいないか、寝込んでいるのである。 甥の父、つまり夫の兄も他界している。夫の妹など、かなり以前に寡婦になってしまった。 新婦の親族が、ほとんど夫婦で出席できたのとは対照的である。 夫と一緒にいられるしあわせを改めて感じた。 家庭内では、こまごまとしたトラブルや心配ごとは山ほどある。それでも、衣食住が足りて、日常生活が送れるほどには、夫婦とも、そこそこ健康である。 「あなた、私を置いて逝かないでね」 夫婦で花見ができるのは、大きなしあわせなのだろう。 |
◇作品を読んで
雲南市の桜は、斐伊川堤防桜並木として、平成二年に「日本さくら名所100選」の一つとなった、中国地方随一の名所である。 作者が書きたかったのは、桜の美しさではない。親戚の結婚式でもなく、穏やかな農作業風景でもない。長年、共に暮らしてきた夫婦の幸せ感である。 有名な『徒然草』ではないが、随筆というのは心に思い浮かんだことをそこはかとなく書けばよいのである。それは、さりげない心情の吐露であり、味わいがある。上手い随筆には、それがある。 推敲の途中で、最後の二行の順序はどうだろうと作者は考えた。最初に書かれたものは、対話文が終わりにあった。テーマに結び付くところだが、読者の皆さんはどうお考えだろうか。 |