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    あなたと私 
                       
       三島 操子                                                                                                          平成21年4月30日付け島根日日新聞掲載

 土曜の午後、絵葉書が届いた。
――期待した程の所ではなかったけど 弥次喜多の貧乏旅行をしています 上海にて――
 二人の名前が並んでいる。差出人は、ベトナムツアーを一緒したご夫婦からだ。並べて書かれたサインが、薄れかけていた旅を思い出させてくれた。
 一ヶ月前、二人に出会うことになるツアーに友人と参加した。現地の空港に集まってみれば、二十四人の中に男性は一人。つまり夫婦での参加はその一組だ。定年前の年頃と見える。
 添乗員によれば、近頃旅行の仕方が変化したという。夫婦での参加よりも、気の合う友達との参加が目立つそうだ。私も同じだ。そんな一行の、ただ一人の男性は我々の中にさらりと溶け込み、夫婦で楽しげに写真を取り合っている。
 半日一緒にいて気が付いた。
 二人はちょこちょこと、よく買い物をする。バス移動の時、私達の後ろが二人の席になった。前の席の声は聞こえないのに、後ろの話し声は遠慮なく耳に入ってくる。お金の計算が始まっているらしい。ついつい気持ちが後ろに集中して困る。
 ベトナム通貨はドンである。毎日必要な枕銭(チップ)は、一万ドンをベットの上に置いて出れば十分と添乗員に言われている。円レートにすると約五十五円で、桁と貨幣価値の違いに、突然大金を抱え込んだ不思議な気分だ。
 二人は、五千円をドンに両替する事にまとまったらしい。約九十万ドンだ。この国では五万ドン紙幣が一番大きい。でも物価が安いので大きい額は使いにくい。五千円をどの額で用意するか……。後ろの席から二人の声が届き、私達まで仲間になっている気がする。
 突然、携帯電話が鳴った。
 ホップな音楽に一瞬お喋りが止まり、全員固まったように静かになった。
「どなた?」
 あちこちから一斉に上がった声で、車内が突然大きく弾けた。
「もしもし。ン――。今日は都合が悪い。少し離れたところに居る……ベトナム。じゃあまた」
 ご主人に飲み会の誘いが来たらしい。笑いの大波を受けて、ベトナムバスは右に左に揺れながら走る。暫くして、先ほどの聞き覚えのある音楽がまた鳴っている。全員の耳が集中している気配は隠せない。話し方から、親しくしている証券会社からだと想像出来た。
「退職金を狙われていません」
 大阪弁だ。遠慮のない明るい声が、後ろの席から二つ三つと飛んで来る。添乗員が立ち上がり、「今回のツアーはのびのびとした方が多いですね――」と、感心したように車内を見渡している。
 二人はいつもお互いを名前で呼び合っている。それがとても気になってしようがない。隙を見付けてつい聞いてしまった。
「いつも名前で呼び合っているの?」
「そう言えば、学生の頃からずーっとね……」
 ツアー仲間とお喋りしているご主人を見つめる彼女が、眩しく見えた。ご主人は会社の指示で、三年間ドイツ留学をしていることが分かった。
 自分は仕事があるから単身で行ってもらったと、彼女は当たり前のように話す。二人は時々離れ、時々一緒になって手を繋ぎ、お互いの情報を交換し合っている。ホテルでは日本から持ち込んだ水で氷を作り、二人でベトナムウイスキーをロックで飲んだと聞かせてくれた。持参した水で冷蔵庫の中を隅々まで拭き、特別丁寧に製氷器を洗い、氷を作る準備をしたのはご主人。飲む相手をしたのは彼女だったそうだ。
 旅の終わりが近づいた頃、メールアドレスと住所の交換をした。彼女は手際よく私達のアドレスを、自分の携帯に落としていく。私達も頂いて整理する。
「私、彼の番号とアドレス、覚えていないわ」
 不意に彼女が言った。
「僕は君のを覚えているのに、なぜ君は覚えていないんだ」
 彼女の腰のあたりを大きい手でつねり、ご主人は怒ってみせる。可笑しの輪はそこらじゅうに広がり、添乗員の何事? の顔にぶち当たりやっと止まった。
 楽しい時間の足は速すぎる。出国ゲートに向かうツアー仲間は、少しずつ知らぬ人の顔に変わっていく気がする。
 お互いを一人の人として認め、心を自由に、必要なときには寄り添う。そんな二人に会えたことが今回の旅の大収穫だ。
 あなたがいて私がいる。お互いを縛らないで、接点が合うところが一番大切と思う。そんな気持ちの通じ合える人を探す。
 私のささやかな今の目標だ。

◇作品を読んで

作者は、ベトナムへ旅をした。外国とはいってもかなり近いほうだ。「近い」とは書かれていないが、携帯電話で話す内容から、それと思わせられる。エピソードをうまく使った例である。
 その旅行で出会った夫婦が、作者の観察眼によって生き生きと描かれ、二人に出会ったことがいちばんよかったと思い、そんな人間関係が大事だと考えた。
 いつもながらの光る言葉が、作品に彩りを添えている。「笑いの大波」、「可笑しの輪」などがそうだが、後の語句であえて「可笑し」と「さ」を付けなかったところは、作者の工夫である。