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     夢 幾 夜
                       
       灘 是和                       
                                                                                   平成21年1月28日付け島根日日新聞掲載


某月某日
 伽藍のような書斎で、片づけた顔を頬杖で支えていると、碌でもないことを考える。だが、すぐにそれは消え、また別のことを考える。それが過ぎると、頭の中は空になる。「」そうではあるまい。お前はいつも空だろう」と言う女の声がした。
 誰だろうと振り返ったが、人の気配はなく、鳥かごに入っている冬の文鳥が、ひゅっと甲高い声を出した。褞袍の背中が、すうっと冷たくなった。

某月某日
 雪の降る夜は、花舞≠ニいう酒を熱燗にして飲みたい。いや、杜甫≠ニいう焼酎を湯割りしたほうがよいかもしれない。
 独りで飲むのは、味気ない。相手が欲しい。熱燗のときは、差し向かいに坂本冬美なんかどうだ。焼酎の湯割りならば、和服姿の香西かおりがいいかもしれない。同じ和服でも、長山洋子のほうが色気があってよかろう。美人でなくてもよい。陽気に騒いで飲むならば、神野美伽にしよう。しっとりと石川さゆりでもいいが、歳が行き過ぎている。年齢を気にしなければ、藤あやこでも……。
 そんなことを考えながら酔っぱらって寝てしまい、朝、起きたら、隣りに小林幸子が寝ていた。
 名前が浮かんでくるのは、昔、歌で付き合った女達だ。
 ええ加減にせんかい、と女達の声がした。

某月某日
 若い頃はそうではなかったが、同じような年齢の死亡記事を見ると、次は俺か……と思わないでもない。それはそれとして、このところ高齢化が進んでいるが、あの世もそうなのではあるまいか。どうせ人間が行くところだから、この世と同じで定員があるだろう。
 さすれば、あの世から声がかからないところをみると、介護施設がどこへ行っても満員のように、あの世に欠員がないということだ。かと言って、予約というわけにもいかないだろう。

某月某日
 どこの国の人間か忘れたが、何日間かかけて自転車を一台、食ったというニュースがあった。細かく砕いて口に入れたらしい。飯の中に小さい石のカケラが入っていることもある。自転車の部品もそれくらいの大きさにすれば、不可能ではなかろう。
 それにしても、おかしなことをする輩がいるものだ。食道楽という言葉があるが、これは究極のそれかもしれない。

某月某日
 眠れない夜がある。いろいろなことを考えて、頭が冴えるから眠れないのである。ならば、なにも考えねばよさそうなものだが、そうはいかない。派遣会社から首を切られたこと、借金のことなどなど、誰でも考えればそれこそきりがない。
 この間、ひょっと気が付いた。眠れないときには、猫の真似をすればいいのである。猫は炬燵で丸くなる、と古人が言ったが、気持ちよく寝ている猫は、布団の上で喉を鳴らしている。それを応用して、意図的にいびきをかくのである。そうすれば、いびきに気持ちが集中して頭の中は空になって眠くなる。
 猫の真似といっても、朝起きたとき、手の平に唾をつけて顔をなでちゃあいけない。

某月某日
 昨夜は、くだらないことを考えているうちに眠ってしまったが、朝、起きてみると、その記憶は薄い。一晩眠ると、全てのことは風の如く去っていく。アメリカの誰かだったか、似たようなタイトルの小説を書いていた。
 昨日のことをいちいち悔やんでいても、仕方がない。時計の針は戻らないからだ。無理矢理戻せば、壊れてしまう。

◇作品を読んで

 ある日の文学教室で、日記が話題になった。続かないという嘆きである。書くことがないというのが、最大の理由らしい。私は天候と気温を書いていますと、別の人が言った。一日中、何もしなかったわけではないから、やったことを書けばいいのではないかと、また別の人が言う。どうでもいいようなことは書いてもしようがない、と反論がきた。
 数日後、『夢幾夜』という作品が登場した。さしたることが書いてあるわけでもないが、おもしろい。頭に浮かんだことをさりげなく書いている。
 意図的ではなかろうが、何となく起承転結の形に思える六日分の日記である。
 日記は人に読まれることを想定していないが、実は書き手が読む。何年か経って、こんな日記を読んで苦笑するのもよいではないか。