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   永遠の名せりふ
                       
    鶴見 優                   
                                                                                   平成20年12月4日付け島根日日新聞掲載

 例年になく穏やかな秋日和の続いた二〇〇八年十月も数日を残したある日、あなたの訃報が孝子から届きました。その日の星占いは不意のアクシデントあり、油断大敵≠ニあったのですが、それでも何事もなく無事に終わりそうだと思っていた夕刻のことでした。
 急な発熱のため入院して二日後、ご家族と孝子に看取られて苦しむことなく旅立った……と。
 大きな会社を経営していたあなたが、二十代後半だった孝子と知り合って四十余年が過ぎました。良き伴侶を見つけて結婚できる年齢であったにも関わらず、孝子はあなたの愛人という人生を選択しました。
 経済的な援助は一切拒否してのことでした。
 孝子は県立西宮病院に勤める私の先輩で、同じ職場の優秀な看護師でした。友人として、孝子の生き方には疑問もありましたが、迷いも恐れも感じられない程の決心は固いものでした。時代は高度成長の真っ只中、若い女性ならばレジャーやお洒落にうつつを抜かすことの多い中にあって、彼女は特別でした。友人と遊びに出かけたり、趣味に熱中することもなく、質素で慎ましい暮らしに徹していました。
 ですが、仕事となると違いました。責任感が強く、看護技術にも優れ、そつのない仕事ぶりは誰からも信頼されていました。負けず嫌いな性格でもあり、自信と誇りを持って仕事に打ち込んでいました。若輩の私は助けられることも多く、頼りになる先輩でした。
 ある時、あなたの友人が私達の勤務する病院へ入院され、あなたがお見舞いに来られたのが縁で孝子との交際が始まったのでしたね。私も、何回かドライブや食事に誘っていただきました。寡黙で控え目なあなたでしたが、孝子と私の会話を小耳に挟むと、フフッと小さな声で含み笑いをする姿が印象的でした。
 私が病院を退職して島根に帰ってからも、孝子とは電話や手紙のやりとりが続きました。二人で何回か玉造温泉と松江にこられましたね。最近は朝ドラの『だんだん』を楽しみに欠かさず見ておられ、近いうちにまた松江に来る計画を立てられていたと聞いていました。
 お二人の関係は、どちらかというとあなたは受身で、孝子の方が積極的でした。一本気な孝子であるだけに、人生を棒に振るようなことになるのではないか、失礼な言い方ですが、都合のいいように利用されているのではないかと思っていました。ですが、世の中で価値あるものは金品ではなく、分かり合える心であり、愛こそ尊いものだと孝子は考えていたのです。
 贅沢な暮らしへの憧れはなかったので、風変わりな珍しい女がいると思われたかもしれません。確かに稀有なタイプの女性だと思います。ですが、あなたは本気の愛を知ることになられたのではないでしょうか。
 奥様に孝子の存在を知られたとき、「経済的な援助は一切していない……」と、言い訳とも開き直りとも取れる弁解をされたと聞きました。いっときは、男の身勝手さと狡さが二人の女性を不幸にしていると思いましたが、あなたへの見方が以前とは変わりました。最期の時、あなたは孝子をしっかり見つめて、「仕合わせやったか?」と確かめるように聞かれたそうですね。その一言に、積年の思いと苦悩が凝縮されているように思えて、感動しました。長らく苦しんでこられたことを知りました。多くを語ることのなかったあなたの健気でいじらしい心根が伝わり、涙を止めることができませんでした。
 孝子の愛に応えようと、あなたなりに懸命に努力もされたのですね。どんな時にも別れることなく、連れ添ってきた歳月が証明しています。
 奥様の亡き後、肺の手術を受け、糖尿病を抱えたあなたとご家族がお困りになっていた時、孝子がお世話をしたいと言い、ご家族の理解を得て一緒に暮らすことになりました。何て仕合わせな人だろうとも思いました。一緒に過ごされた最期の六年間は、まるで熟年のハネムーンでもあったのですね。
「何の後悔もない幸せな人生だったわ、ありがとおーう、ありがとおう、ア、リ、ガ、ト、ウ……」
 涙でくしゃくしゃになった顔をあなたの頬にぴたっと付けて、孝子はお礼を言ったと聞きました。繰り返しますが、どこにそんな力が残っているのかと思える程、繋いでいた手を力一杯握り返して言われたそうですね。「仕合わせやったか?」と。
 その直後、ゆっくりと大きく息を吸い込み、体中の空気をふうっと吐き出して安堵の表情を浮かべ、瞬きもせず孝子を見つめ続けて息を引き取られましたね。
「やるべきことはやってきたので、後悔はないわ」と、孝子は断言しています。あなたの身の回りの世話をしつつ、二人だけの生活もできたことは、孝子にとっても十分納得のいくものだったのです。
 近いうちに、あなた方が泊まった玉造温泉の皆美館≠ナ孝子とゆっくり語り合う約束をしています。あなたの噂話で持ち切りになること間違い無しです。
 孝子の顔をじっと見詰め、「仕合わせやったか?」と確かめるように言われた、あなたの最期の言葉は、忘れられない永遠の名セリフ≠ニなりました。私からも、あなたに「孝子への愛をありがとう」と言います。さようなら。

◇作品を読んで

友人の孝子から、愛した男との話を聞いた作者は、四百字詰原稿用紙で八枚ばかりの短い物語を創ってみた。だが、どうしても思いが書けない。考えあぐねて、手紙で語りかける形式にしたが、これでも不十分だと作者は言う。ならば、書簡体ではなく、もっと長い物語にしてみたらどうだろう。
 題材そのものが、友人に聞いた本当の話である。思いが錯綜して書きづらいかもしれないとすれば、その話にのめり込まず、突き放してみることである。自分の書くものに、溺れてはいけない。それが、「書き手」というものではないだろうか。