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   線上の揺らぎ
                       
    前田 芳子                   
                                                                                   平成20年10月30日・11月6日付け 島根日日新聞掲載

「やれやれ、二学期が始まった」
 調子よく何事もないようにと、祈りながら三人の孫達を小学校、幼稚園に送り出す平和な三週間が過ぎた頃だった。
 もうそろそろ小学校組の二人が帰る時刻だ。近所からの頂き物のさつま芋でもおやつにと、準備に取り掛ろうとしていた時である。電話が鳴り渡った。ナンバーディスプレイに目をやると、小学校からだった。今度は何を仕出かしたのか? 慌てて受話器を耳にやる。
「もしもし、前田です。今回は何でしょう」
今回は――≠ニいう言葉に、相手の先生は笑ったのではなかろうか。
「祐介君の担任の相田です。実は仲良しタイムの時間、鉄棒から落下され、後頭部を打たれました。大丈夫とは思いますが、一応、脳外科で受診された方が安心ではないかと……」
「ご面倒お掛けします。すぐに行きます」
 あのバカヤロウー。何回この婆さんをドキンとさせたなら、小学校を卒業できるのか。手を三回、足を四回骨折、いよいよ次は頭に順番が来たらしい。
 足は送り迎えが必要だが、頭ならば歩いて通学できるだろう。孫の様子より自分の負担に気を遣うあたり、怪我慣れも佳境に達したらしい。
 午後の学校は静かだった。廊下を歩いていると、妹の由紀が帰り支度で通りがかった。
「祐介がねー、今度は……」
「知っているわ。馬鹿なお兄ちゃんだが」
 保健室でうつむき加減で青菜に塩の如くしんなりしている祐介を見ると、可哀想でもあり、しっかりしろとガツンと一発言いたくもなった。
 どうにか平静さを取り繕い「ありがとうございます。附属病院に行ってみます」とお礼を言い、祐介と由紀を車に乗せて病院に行った。
 事前に携帯から連絡をしてあったので、脳外科の先生はすぐに診てくれた。まず、頭部のレントゲンを撮った。
 隣の撮影室の扉に「自分で発見しよう乳がんを。正しい見つけ方」という啓発ポスターが、丁寧なカラーイラストで貼り付けてあった。私もいつガンになっても不思議ではない。三人に一人はガンで亡くなるご時世だ。発見方法入りのイラストをかなり真剣に、頭の中に収めておいた。
 祐介が不安そうな顔で出てきた。
 出来上がったレントゲン写真を見ながら、二人の先生が写真の同じ箇所を、ペンの先で円を描きながら何やら言っていた。
「アッサリ撮れていない所があるので、CTを念のためにしましょう」
 ちらりと不安がよぎったが、結果は血腫もなく、頭を打った時の注意書きをもらい、無事放免となった。待っていてくれた由紀と祐介を乗せ、家に帰った。
 開口一番、祐介に「今日は遊んではならぬ。反省をしろ」と一喝。やや乱暴な言葉を投げかけ、胸のモヤモヤが解けた。
 学童保育園に行っている香織が、娘と一緒に帰って来た。娘には大事にはならなかったと伝えてあるが、それでも祐介に向かい「婆ちゃんに心配掛けるな」と通り一遍のことを、目が笑った顔で言っていた。
 その夜、お風呂に入った時だった。ジッと浴槽につかっていると目の前の壁に、乳がん発見のイラストが突如浮かび出てきた。大急ぎで上がり、脱衣場の鏡に、豊満な上半身を映してゆっくり眺めた。両方のお乳に変化は無い。エクボも引き攣れも見当たらない。視診はOKだ。ベッドに仰向けに寝ながら、イラストに示された触診に挑戦。左右何回かしているうち、右のお乳にコリコリと手に触れる何物かがある。頭の中はガン、ガン、ガンと渦を巻き出した。居ても立ってもおれない心境だ。
 娘は、台所でのんびりと食事の後片づけをしていた。
「私はもう長く生きられないらしい。乳のガンを見つけた。ちょっと触ってみて」
「ああ指先で何かが感じ取れる。そんなに深刻にならないがいいと思う」
「……」
「ガン患者など、この世に数え切れないほど沢山いる。ガンだと一人合点しないで、明日は平日だから外科に行けばいい」
 全く冷静な、娘の返事だった。少し興奮した神経が、娘の至極当然な答えでいくらか沈静化した。あれこれ思い患っても何の助けにもならない。その夜は軽い睡眠薬のお世話になり、一気に朝がきた。
 祐介の怪我など吹っ飛んでいた。
 受付の始まる八時半までに附属病院に行き、乳腺外来の窓口で運良く予約ができた。
 九時半に受診できた。かなり若い先生が、左右の乳を丁重に指先に神経を集め、診断しようと必死な様子が、まさに目の当たりに確認できた。
 乳ガン専用の、マンモグラフィーというレントゲンを受けた。乳を上下左右に、透明なアクリル板で挟んで撮影する。
 写真が出来上がってきた。
「かなり小さいのが写っていますね。ハッキリさせるには、切開してシコリを取って病理検査が正確ですね」
「じゃあ、そうします」
 そう言うほか、選択肢はない。
 数日が過ぎ、いよいよシコリを取り出す日がやって来た。
 附属病院の、何と手術部で、どこの部位をするのかという程のものものしさである。入った途端に何箇所もある手術室は、どれも使用中の電気が点いている。準備室は見たこともないピカピカの機械が行列していた。
 ここまで来たなら仕方がない。まな板の鯉とはこのことか? 手術着に替え、頭に帽子を被り、テキパキとした中にも優しさのある看護師さんの誘導で摘出手術が始まった。四十分間で終わった。ガン細胞があるか否かが分かるのは、三週間先とのこと。
 先生はいともた易く三週間というが、患者の私にとっては剣山の上に爪先立つような日々だ。白か黒か、はたまたグレイゾーンか。
 松江の日赤に、全身のガンを初期に発見できるペット≠ニいう診断方法があることを思い出した。
 電話で問い合わせた。私のような不確定な場合は自費で十万円以上必要と聞き、暫らく考えることにした。
 金額十万円以上という線上で、診断を受けようか、止めようか。どっちの方向に着地すべきかグラグラ揺れ動いた。
 乳のシコリがただならぬ物ならば、何百人何千人の患者と接する臨床医師であれば、そう時間を置かず、師匠である準教授、外科部長様のお歴々共々を交え相談会を行うであろう。そのように自分に言い聞かせると、平常心が僅かだが取り戻せた。
 ガンであったらと、最悪のシナリオばかり描いていた。何故か揺れ動いていた心が、色あせた赤信号になりつつあり、救われたという心持ちがしてきた。「信じる者は救われる」という言葉を丸ごと受け入れようという気持ちだ。頭が単細胞で本当に良かった。結果発表の日まで、神経は何とか耐えてくれるだろう。
 祐介の後頭部打撲が、ひょっとして私にとっては大きくありがたいお土産になるかも分からない。もしガンであっても、早期発見、早期治療で、命は召されずに済むだろう。
 キッパリと、先生の言葉を聞けるまでの不安定な心境は、味わった者だけにしか分からないと強く思った。
 三週間が過ぎた。いつも心の片隅から消え去ることが無かった、結果を知ることができる約束の日がきた。
 朝一番に仏壇の花と水を替え、先に亡くなった主人、多くの御先祖様に無常の心で笑顔を贈っておいた。
「八百万の神様達、十月は出雲大社まで特急に乗り、間違いなく集合し、良きにお計らい下さいますようお願い申し上げます」と、さりげなく神棚に囁いた。
 いざ出発だ。病院に着き気持を和らげ、名前を呼ばれるのを沈黙で待っていた。十分後、案内の声が聞こえた。
「前田さん、6診の診察室にお入り下さい」
 先生の表情を見逃すまいと見詰めた。先生はパソコンに向かい熱心に何かを読み出した。横顔からどことなく、柔らかい雰囲気が伝わってきた。
「ガン細胞は無かったです。良かったね」
「ありがとうございます。嬉しい限りです」
 神仏は、三人の孫と共に過すこれからの時間というプレゼントを準備してくれたのだ。笑顔になった私は、そう思った。

◇作品を読んで

 婦人ガンの中で乳ガンは、上位の疾病に属し、しかも、この近年、増加する傾向にあるという。作者は孫を連れて行った病院で、啓発ポスターを見た。自分もそうではないかという疑惑がしだいに大きくなり、検査に行くことになった。疑わしいというので検査の手術をしたが、結果は安堵するものであった。
 孫の活発さには悩まされるが、きつい言葉を言いはするものの、その裏からはいとおしさがうかがえる。この作品も、本当は深刻な、あるいは暗い内容であるにもかかわらず、明るさが見える。読む者をほっとさせる文章になっているのは、まさに作者の明るい性格からなのである。