文末への試み 元気に老いたくて
糸原 静
平成20年6月19日付け 島根日日新聞掲載
長寿の家系。女である私は、特に長寿の見込み。父方の祖母が亡くなったのは、百歳の誕生日まであと少しという日。母方の祖母は、現在百一歳で普通の生活。母も元気。 せっかく長生きしても、寝たきりは嫌。手足が不自由ではつまらない。死ぬ直前までは元気な生活。みんなの願いぴんぴんころり≠私も希望。 そうは言っても、半世紀以上生きていると、罹ってしまったのが、生活習慣病。自覚症状のないサイレントキラー=B何ともないから、つい忘れがち。そんな時、思い浮かぶのが、祖母たちの元気な顔。私は彼女たちの孫。元気に老いる可能性は充分。一病息災と思って生活改善を決心。 編み物、読書、音楽鑑賞と、動かないことばかりが趣味。運動不足を解消しようと、家の近くのスポーツジムに入会契約。 このジムには、他所にはめったにないマシーンを設置。身体だけではなく、脳の活性化も図るそうな。運動ついでに、衰えつつある頭も訓練してもらえるのは、想定外のお得。 確かに、今まで見たことのないマシーンがほとんど。 目玉商品ならぬ、目玉マシーンはふたつ。 ひとつは、自転車漕ぎ≠ノ似ているが、足の回転が円ではなくて楕円。腰をひねって、歩幅を拡大。もうひとつのマシーンは、右手右足、左手左足を同時に回転。どこをどう動かすか、思考が必要。 ひとつめの自転車漕ぎ似≠ヘ、初めからのお気に入り。五十センチ代だった歩幅が、半年たった今では九十センチ近く。おしゃべりしながら楽々回転。 ふたつめは、最近まで敬遠。初めのころに数回やってみて、頭がパニックになったのが原因。考えているだけで直立不動。「手も足も出ない」とはこのこと。何にもできなければ、やる気も消失。 転機は足の少し不自由なお爺さん。歩くのに杖が必要なのに、チャレンジ。普通に歩ける私ができないなんて恥。 マシーンに足をセッティングするのさえ、頭はフル回転。再挑戦のころは、スタッフが二人がかり。今ではひとりで、さっさと装着。手足に掛ける負荷も少しずつ増大。 せっかく通っているのだから、二つの目玉マシーンは、絶対に使用。 ジムに行った日は、快い疲れで、心も身体もリフレッシュ。 少しスリムになったと、おだててくれる友人たち。でも、体脂肪率に変化は……。ホームドクターに相談したら、週一回の運動では、少なすぎるとか……。週三回しないと効果は期待薄だそうな。ジムだけに頼らず、生活に運動を取り入れば良いとか……。普段からもっと動けということ。 やりたいことをやらずに、運動ばかりして健康のために生きるのは、どうかと。でも、生きているからには、健康で過ごすのが大切。 終末直前まで自分の力で食事をし、用を足す。これが私の切なる願い。 |
◇作品を読んで
五月の終わり頃であったか、文学教室で「文末処理」をテーマにして話をしたことがある。作者は、そこからヒントを得たと言われるが、体言止めを多用した″品を書かれた。このような発想は、そう簡単に誰もが思い付かない。実にユニークな文章になっている。 この作品の文体について賛否両論はいろいろあるはずだが、いまここでそのことの是非≠問おうとは思わない。タイトルにもあるとおり、実験である。文末処理に限らないが、多様な文章を書いてみる、それを多くの皆さんに問うてみようというのが、この「青藍」という場であり、文学教室の目的なのだからである。試みてみなければ、何も生まれない。 |