春夏秋冬日誌 ホンマの錬金術師
曽田依世
平成20年6月11日付け 島根日日新聞掲載
作家の江波潤一先生から、本を頂いた。 最近、私が錬金術師になるなどと変なことばかり口走ったり、文学教室に行かなかったりしているからだろうか、しっかりしろと書かれた激励の手紙が添えられていた。 その本は、三笠書房から出版されている『図解 夢を引き寄せる宝地図』という。島根日日新聞社発行でないのはマコトに惜しいのだが、とにかく面白いのだ。本の内容が。 早速、宝地図の製作にとりかかり、二時間あまりで完成させた。完成した宝地図に、キヤッチフレーズを書いた。「ホンマの錬金術師」と……。 このキャッチフレーズを考えるのに、少し時間を使った。「自分がやる気になれば、自然と周囲の人も協力してくれ、またいっそう自分もがんばれるし、成果もあがる……。この好循環をもたらし、夢実現を加速する力がキャッチフレーズにはあるのです。」と書かれていたからだ。 島根日日新聞文芸欄の青藍に『マイスイート マイハニー』というエッセイを載せたのは、平成十八年十二月だった。三年が経過したが、今でもあのイタリア青年と出会うことがある。それに、カンザス君とも友達になった。 カンザス君には通勤の帰りだが、たまに電車で出会うことがある。去年まで私たちは、ティーチャーをしていた。というか、職場が一緒だったのだ。 カンザス君が、「依世さんが仲を取り持ってくれたから、イタリア君と親しい友人になれた」と言う。このことについては、またの機会に書くことにする。 カンザス君は今年の八月にアメリカに帰国し、言語学の研究を大学でやり直すと言っていた。私の拙い英語では、ここまで聞き出すのが大変だった。カンザス君は日本語が多少使えるが、私の英語は意味不明なのだ。知っている言葉を並べるだけだが、それでもカンザス君はにこにこしながら話を聞いてくれている。 依世さんはどうしている? と聞くので「クラフトマンに転職した」と話した。カンザス君は、驚き、ファイターだと褒めてくれた。何をクラフトするのか、ものつくりということなどをどう伝えていいのか困った。 ある日、久しぶりにイタリア君とカンザス君と私は、電車が一緒になった。ぽーっと車窓を見ていた。半袖シャツにハーフパンツを履いた、イタリア君が私の左に座ったので驚いた。カンザス君が右側にすわり、挟まれた。 二人は、キャンプの引率をして家に直帰するのだと言った。久し振りに会ったイタリア君は日本語が上達していた。「うまくなったねえ」と褒めた。困った顔をして照れた。きっと褒め言葉は、正確に通じていないのだろうが。 イタリア君は、以前からジョークで笑わせてくれていたが、今度は私が二人を笑わせる側になったようだ。 溶接とか板金プレスとか鍛造とかを、どう伝えたら分かってもらえるか。前回会ったときには説明出来なくて困った。今の職場で、金属の名前をたっーくさん覚えた。金、銀、銅をはじめ、金属類は化学記号や略字で表記される。そのうえ、なんでもかんでも英語になっていて、頭文字と数字で表す。 二人には、ナイフだとかフォーク、スプーンとかで金属を例えようとしたので、料理をするのか? という誤解が生じた。「クロム、ニッケル、アイアン、チタン、ゴールド……」などと知っている金属の種類を並べたて、混ぜて、アークを飛ばして、ゴーなどと話した。二人は真剣に私の顔を見ている。 「スチール、ユーズ、ステン、アンダースタンド? オーケー?」 カンザス君だけが言った。 「依世さん、勇気があるね。頑張ってよ」 イタリア君は英語で私に話し掛けるが、私は、「アンダースタンド」としか答えられない。こんなことで、本当に錬金術師などと言えるのだろうか。きっとカンザス君もイタリア君も、意味不明の英語に困ったと思う。錬金術などと詐欺みたいなことを教えないで、きちんとクラフトマンの意味を教えてあげなければならなかった。 錬金術師はアルケミスト、職工や職人のことをクラフトマンという。厳密にいうと違う。なぜなら、私は高齢未熟技能士だから――。日本で匠と呼ばれる人たちは、高度熟練技能士と呼ばれている。外国では匠のことを、マスターとかマイスターというらしい。 滅茶苦茶の会話を電車の乗客全員が、耳をそばだてて聞いていた。ほとんどが高校生の乗客だった。 暗号のような会話を整理すると、去年まで私達三人は同じ職業に就いていたのだが、私は転職した。イタリア君だけが残って、教師を続ける。カンザス君はアメリカの大学に行ってしまう。日本語のあまり出来ないイタリア君、不安になったらしい。クラフトマンになぜなってしまったんだと聞いていた。 ホンマかいなあ? これが「ホンマの錬金術師」のいきさつなのです。 |
◇作品を読んで
分野を問わず、文章を書くときにはまず内容を決める。だが、それだけでは駄目である。どのように語るか、つまりどのような文体にするかということも要素の一つとなる。文体といえば分かりにくいが、語り口のことである。 作品は作者が頭の中にある誰かを想定し、その人に対して語っている文体となっているからリズミカルになった。軽い内容だから、こういう調子で書くということもあるが、作者の独自性とでも言うべきかもしれない。 読んでいて面白いと思う作品は、主要な登場人物である作者自身を読み手が思い浮かべるように書かれているからである。つまり、血が通っていると言ってもよい。この作品もそうである。 |