愛・藍・I(アイ)
天 従 勝 己
平成20年5月29日付け 島根日日新聞掲載
親は無くても子は育つという諺があるが、子供を育てるには、両親の愛情が大切なのである。 私は、共稼ぎをしながら長男と長女を育てた。その経験から言えば、やはり親の愛情が大事なのである。「愛」とは愛情の愛。何かのタイトルではないが、地球を救うのも愛である。情熱と時間とカネを限りなく注いで、大事に育てることだ。 花も同じである。花と生きるという心優しさは、私の天分とも言える。 シンビジューム、土佐寒蘭、そして万年青(おもと)、黒松の苗。水やり、施肥、植え替え――まさに愛情を注げば必ず一年に一回花を咲かせて、私の愛に応えてくれる。一年草よりも、緑の葉の姿を楽しめるのだ。それに反して手抜きすると、鉢植えは真夏であれば、鉢植えは一日で枯れる。 万年青は、その点から言えば、葉芸で楽しめる。初めて万年青に展示会で出会ったとき、「マンネンアオ」と、その文字を読み、養父に笑われたことを覚えている。特に「獅子」という名の万年青は、葉が全部くるくると曲がっている。まるで、カールされた髪の如くである。花は咲かないのだと思っていたが、間違っていた。庭に植えてある万年青は、地味な丸い指先ほどの緑色の花をつけるのである。 「青は藍より出でて藍より青し」ではないが、それこそ「藍」とは、沖縄出身の女子プロゴルファーで、現在、米国の女子プロゴルフで活躍している宮里藍のことである。 彼女の帰国中のテレビインタビューで知った。二人の兄も、プロゴルファーだ。彼女が、四、五歳の頃から、兄二人がゴルフ練習場に行くので、「私もついて行く!」と言って行き、最初は、三十ヤード、五十ヤードの近距離の打ち方から身につけたという。 また、目標とする選手は誰かと聞かれると、「メキシコ出身のレオナ・オチョア」だと答えた。オチョアは、昨年の賞金女王である。オチョアは、ラウンドプレー中に、コース管理の仕事で働いているメキシコ出身の人達に、気軽に声をかけて挨拶をするという。 この話を聞いたとき、私はオチョアは素晴らしいと感じた。というのは、ゴルフは高い金を払って金持ちがする遊びだという先入観をほとんどの人達が持っているのではないかと思うからである。 一般的にラウンドしている人は、自分のプレーや道具に夢中になり一所懸命であり、現場で草刈りや枝切りをしている人よりも、優越感を持っているのではなかろうか。 私はオチョアの真似をして、コース管理をしている人達に必ず帽子を取り、会釈をする。その人達は、ゴルフをするお客様に気を遣って雑音を出さないように、仕事をしているのだ。コース管理の配慮がないとゴルフは楽しめないのである。 スコアが良いのに越したことはないが、私はおおむね、その日の出来具合に波があり、安定していないという意味の大波賞を頂くほどの実力である。また、私のゴルフの目的は、もちろん健康第一なのであり、ちょっとだが、人生勉強もするように心がけている。パートナーの友達の打ち方、言動、マナーは、よく分かるが、自分のこととなるとなかなか分からないものである。「人のふり見て我がふり直せ」である。 |
◇作品を読んで
何度も読むがよく分からない文というのがある。その多くは自分の立場だけで書かれているからである。好意的に観ればその人の良さ、もしくは個性ではあるが、逆に言えば視野が狭いということになる。自分ではない他人の立場で考えてみる、書いてみることが大事である。 もう一歩進めて特定の或る人、それも身近な人を思い浮かべ、その人の立場ならばどうなのだろうと考えるというのも一つの方法である。作者は、そういうことを思って作品を書かれたのではないか。 タイトルと内容に盛られた三つのエピソードが呼応しているのも面白い。この作品は、四百字詰め原稿用紙で三枚半だが、もう少し膨らませることもできるだろう。 |