TOPページにもどる   ウエブ青藍トップにもどる

   神の采配 
                       
    谷口 舞                   
                                                                                   平成20年4月17・24日付け 島根日日新聞掲載

 面接試験を受けたのは、何十年ぶりだろう?
 その後届いた不合格≠フ通知。
 成美は、めらめらと湧きあがる怒りにも似た激情が、身体中を駆け巡るのを覚えた。小さなプライドだが、ぐちゃぐちゃに潰れていく瞬間でもあった。
 成美の人生において、記憶に無いほどの屈辱を味わうことになった不合格≠フ三文字。まるで人間失格の烙印にも見えた。
 知人の強い薦めがあったとはいえ、甘い認識のまま、松江市が募集した(介護相談員のボランティア)への軽率な応募を猛烈に後悔した。
 定年を区切りに仕事から離れ、趣味の習い事にうつつを抜かして三年余。
「遊んでばかりいないで、社会勉強にもなるんだからボランティアでもやってみたら……?」と、内なる声の囁きも次第に大きくなっていた。
 下調べも無しに、軽い乗りで応募したのだった。
 地球温暖化のせいで、暖冬かと思われた二〇〇八年一月末日に面接があった。
 思いもかけない前日からの寒波襲来による積雪と、場所によっては凍結もあった。
 成美の家の前は、急な坂道になっていて、ここ数年は積雪や凍結のある日には運転をしないようにしていた。しかも面接順も一番目の九時であったので、タクシーで駆けつけることになった。
 この時、第一次の書類審査を通過した八名中、五名が面接で採用となることや、有償ボランティアであることを知った。
 ボランティア内容は、月二、三回の介護福祉施設の巡回で、介護を受けている人達の相談に乗ったり、介護環境の実態を報告し、改善に役立てるという任務であった。
 面接官が七名もいて驚いた。
 Gパンにセーターといった軽装で臨んだ成美は、少々ためらいを感じた。
 そう言えば、パープルの縞模様のヘアースタイルをしたおばちゃんは採用されたのだろうか。
「今日は雪でしたが、どうやって来られましたか」
「タクシーで来ました。普段は車ですが、家の前が坂道になっているものですから凍結している時には、乗らないようにしています」
「月二、三回の施設訪問と数回の会議がありますが、出席できますか」
「出来ると思います。今は習い事をしていますが、都合をつけます」
「老人は好きですか」
「嫌いではありません。看護師として働いてきた職業柄、 多くの高齢者に対応してきました。お年寄りは、人生経験も豊富にお持ちなので、学ぶべきことも沢山あると思っています」

 内緒で応募したこともあり、不合格となったショックは誰にも言えず、ひとり胸に秘めて悶々として過ごした。
 成美はついてなかった。
 偶然にも面接日は、積雪でタクシーで駆けつけなければならなくなった。面接内容にも減点の条件が揃いすぎていた。運が無かったということだ。
 かって、松江から米子まで四年間通勤したことがあった。当時は、若さも勢いもあり、仕事の使命感にも燃えていた。積雪や凍結にもめげず、半ば命がけで車を運転していたことを思い出す。
 若さも気力も減退した今、雪の日に、無理をしてまで使命感を持ってボランティアが出来るものだろうか。とてもその自信は無い。到底不向きな役柄であり、資質や適性にも欠けていたのではないか。
 厳正な審査のもとに選考されるという認識も自覚も乏しいままであったから、その熱意の無さがきっと面接官に伝わったことであろう。
 受からなかった理由が、徐々に成美の中で明らかになり、不合格は当然のことだと思えた。
 それにしても、ここ数日間は何だったろう。一人芝居のようなものであった。
 六年前、胃の手術を経て命拾いをしたことに遡るが、あれ以来ぶれない精神力を身につけたはずではなかったか。
 ――命に勝るものは無し。
 小さな自尊心、欲望、悩み、迷いなどは、命の重さに比べれば何と取るに足りないことだろうと気付いた。
 これまで、一喜一憂してきたことの全てをリセットした時であった。
 以来、欲はほどほどにして、僅かなことにも喜び、感動する心を大切に、慎ましく、シンプルに生きよう。これから過ごす後半の人生は、身の丈にあった設計図の基にシンプルイズビューティフルを目指そうと心に決めたのだが。
 ――咽喉もと過ぎれば熱さを忘れる。
 大病の経験から、不動の精神を培ったと思いきや、歳月を経て健康を取り戻すと再び小さなプライドと見栄の前に、脆くも動揺する自分の姿があった。
 ――まだまだ修行が足りないのか。
 成美はひとり苦笑した。
 時間の経過と共に、成美の挫折感もポロポロと剥がれ落ち、カビのように貼りついていた暗い想念も三日を過ぎる頃には、雲が晴れていくように薄らいで行った。
 心の軽くなった成美は、少しずつ落ち着きを取り戻し、新たな思いが芽生えていた。
 軽はずみではあったが、小さな挑戦とも言える介護相談員のボランティア≠ヨの応募から得たものもあったではないか。失敗から心を乱し、落ち込みはしたけれども、自らを見つめるチャンスにもなり、心の強さというのか、心のあり様を知ることにもなったように思う。
 成美は最近、自分の身の上に起こる出来事は全て意味のあることであり、メッセージだと思っている。
 今回の結末も神の采配であり、お取り計らいであったと信じている。
 肌を刺す冷たい二月の風が一瞬、春の風に変わり、頬をそっとスクロールしたように感じた。

◇作品を読んで

 文章を書き始めた頃は、自分の体験をもとにしたエッセイ風な作品か体験記が多くなる。歩んできた人生の物語を残したいという願いが文章を書かせるからだ。小説の形をとるものもあるが、それにしてもおおむね真実に近い。
 この作品は小説風な書き方だが、作者の体験だろう。間違いなく採用されるだろうと思って受けた介護相談員の面接で、思いもかけず落ちてしまった。その衝撃が悔しさになり、それを踏み越えて前向きな考えにと変わっていく心の動きを赤裸々に書いてみた。
 こういう題材で書けば必ず自分をさらけ出すことになり、書きたいけれども書けないという板挟み状態になることがある。作者は、その解決法として小説の形を選んだ。一つの方法である。