春夏秋冬日誌 石頭
森 マコ
平成20年3月27日付け 島根日日新聞掲載
私には変な癖があるようだ。 自分流に言わせてもらえれば、別に変だともおかしいとも思ってはいないのだが、娘たちは変だと言う。 変な癖とは、やたらと石を拾ってくることらしい。 石は魂を持っているのだが、石の周辺はいろんな霊の集合場所だと思っている。それに石たちの会話も聞こえてくるような気がする。 ちょっと気に入った形の石が落ちていると拾いたくなるのだ。 理由なんてどうでもいい。純粋に石が好きなのだ。 初めてそう思ったのは、小学三年生の頃だった。 出雲大社の参道の敷石を玉砂利と呼ぶが、その上を歩くと、じゅっじゅうじゅと音がする。その音が松並木に呼びかけて、松の木霊を呼ぶのだ。 静けさの中で玉砂利同士が擦れ、木霊が舞い踊っている景色がみえるのだが、それを不思議だと感じたことは一度もなかった。 出雲大社にお参りし、本殿横の小さな石を拾っては、ポケットの中に入れた。次に参ったときに、ポケットから古い石を大地にお返しする。また活きのイイ石を拾い、黙ってポケットに入れる。これは泥棒なのだろうか? 高校時代は、毎日出雲大社に走って参った。 身体の鍛錬のために、出雲大社経由、奉納山通過で稲佐の浜へ。往復約十キロのコースを雨の日も風の日も、雪が降ろうが槍が降ろうと十年間走り続けた。 石は体操着のポケットの中で、毎日交換されていったから、泥棒ではないね。出雲大社の石は、私の血となり肉となっていった。 気障な言い方でごめんね。 大学生のときだった。知り合いが発破を仕事にしていた。私が石を好きなことを知っていて、あるときに石英を呉れた。発破後の山から出た石英ということだった。 貰ったときは、これを磨けば玉になるだろうと、自分勝手に思い込んでおおいに喜んだ。しかし、石英は大人の握り拳ほどの大きさだったので、不都合が生じた。持って歩くにしても、ペンダントにしようと首にぶら下げても、重すぎることだった。ではドアストッパーにならどうだと、開いたドアの下に置いたら軽くてドアは閉まってしまう。帯に短し襷に長しだ。 最近では、大理石を拾った。 拾った場所は、秘密だ。 ドアストッパーにちょうど良い大きさで、とても重たい。暗闇でけつまずいたら、足の親指を骨折するだろうという位の重たさだ。 昨年の梅雨時分には、ヒマラヤの岩塩を買ってしまった。 今では、拾ってきたり買ってきたりした石たちが、ところ狭しと部屋に落ちている。 家族は嘆く。 なんで重たくて大きな石を、わざわざ選んでは拾ってくるのかと。一つあれば充分ではないか。小さい家の中に中途半端な大きさの石がごろごろしていたら、邪魔になってしかたがないと言う。 そこで、太陽に石を当てて乾かすことにした。 「おいおい、母さん、なにしているの」 「石を日光浴させているのよ」 日光浴をさせても、パワーストーンではあるまいしと、呆れてしまっている娘たち。 「せめて、一列に整頓してね」 美的景観だけでも良くなるからと、懇願される始末だ。 掃除のとき、ベランダに石を並べたら庭園になった。ベランダの底が抜けないかと、一応心配はする。 だが、私の集めた石は、誰にも見られることもなければ、褒められることも、なーい。 私の石頭のように……。 人に話すと、嘘つきとか言われそうなので、ここだけの秘密ということで。はいはい。 |
◇作品を読んで
人は常に幸と不幸を背負い、それを何かの方法で昇華しようとするが、その一つが芸術活動の中に位置する「文章を書くという作業」である。不幸であれば、書くことでそれに意味付けをして幸せに辿り着こうとし、幸せならば更に高めようとする。 作者の書く物語が面白いのは、現実と空想が、おおむね交錯しているからである。もともと物語というものは、虚構と現実、言葉を換えればフィクションとノンフィクションなのだから、作者のねらいはそれでよいのである。 石頭とは、「ものの考え方や見方に柔軟性がない」というほどの意味である。この作品が石頭から生まれたとは思えない。 |