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   白銀の朝 
                       
    坂本 達夫                   
                                                                                   平成20年3月13日付け 島根日日新聞掲載

 ドサッ――大きな物音で目が覚めた。ここはどこだろう。一瞬自分がいるところが、わからなかった。
 こたつに布団を掛けて寝ていた。普段は、こたつを使っていない。枕元に床の間がある。床の間には、掛け軸。歴代天皇の顔が描かれている。それが、数珠繋ぎになって……。
 分かった。大東町だ。民宿の一室にいる。出雲市から、山に囲まれた山里の小学校に通勤しているのだが、昨夜は大雪警報が出たため、県道をはずれた田んぼの中の一軒家、民宿に泊めてもらった。経営者は離れた自宅に住んでいて、夜中は私が独りであった。
 それにしても、あの音は何だろう。明るくなった窓を開ける。突然、目に飛び込んできたのは、雪に埋もれ、田んぼも山々も白くふっくらとした銀の世界だった。流れる川に沿う伸び放題の竹林にも、厚い雪が覆い被さっていた。数本の竹が雪をはね除け、青々とした背を伸ばして揺れている。そうか、夢の中での地面が響くような大きい音は、竹林の雪がまとまって落ちた音だったんだと気づいた。
 枕元の腕時計を見ると、もう午前六時半である。こうしてはいられない。早く学校に行って、昇降口を開けないと八時には子ども達がやってくる。普段は早く通勤してくる先生達も、この雪では遅くなる。急いで身支度をした。大雪が降ると分かっていたので、昨夜大東の町で買っておいた安物のジャンパー、長靴を身につける。
 外へ出ると、田んぼを越えて、道路や山までがどこまでも真っ白く光っている。車の周りも五十センチばかりの雪に覆われている。雪を落とし、降ったばかりの雪道へぶつかって行った。粉雪を掻き分けながら、県道まで出ようとした。が、そこからが問題だった。県道への出口は、除雪された雪の山で塞がれていた。スコップを取り出して何とか道を造ろうとするが、一人ではどうしようもなかった。
 バックで運転して民宿まで引き返し、鞄だけを持って徒歩で学校へ向かう。新雪をきゅきゅと踏みながら歩くのは、実に気持ちいい。雪が多かった子ども時代を思い出した。
 今しがた無理矢理通った道を五十メートルばかり上り、県道へ出た。ふわりとした新雪が積もった歩道に、長靴をずぶりずぶりとめりこませながら歩く。百メートルも行くと息が上がってきた。かなり強引に歩いてきたので、足がずいぶんくたびれた。まだ七百メートルもある学校までの道をたどり着くことができるかと、不安になってきた。
 普段は子ども達に「歩道を歩きなさい」と言っているが、非常時だからしょうがない。車の轍を歩こうと、車道に出た。楽だ。さっきまでとは大違いで楽だ。道路は車の轍とはいえ、これまでの圧雪ででこぼこで歩きにくい。だが、新雪の中よりはいい。
 雪の中で遭難する人があるが、結構雪の中を歩くのは体力を消耗するなと思いながら、車が来たらどうしようかと心配だった。
 県道から離れた家のお祖父(●じい)さんが、
「犬を捕まえて下さーい」
 と叫んでいる。前から、首に紐をつけたままの犬がいかにも嬉しそうに走ってくる。私は、とっさにその紐を踏んだ。
 孫だろうか。「ありがとう」と、たくましそうな日焼け顔を笑いで一杯にしてやってきた。
 あっ、校長先生、と吃驚した顔で私を見上げたのは一年生のいたずらっ子だった。お母さんが忙しく、お祖父さんと暮らしているらしいと聞いていた。後を追って来たお祖父さんに犬を渡した。
「校長先生、いつも孫がお世話になっちょうまして……」
 深々と頭を下げられた。
「元気がとてもいい孫さんですね」
「とてもとても。いつも母親がおらんもんだけん、かわいそうが先にたって、我が儘しても怒らんもんでしてね。元気がよすぎますだ」
 めったにない大雪が幸いして、一人の子の暮らしを知る事ができた。
「なかなか雪道は、歩きにくいですね」
「山ん中では、雪はやっかいもんですだ。この歩道は降った雪ばっかりならいーだども、除雪の雪がたまっちょうましてね。そーだが、うちの所から先は、わしが早起きして歩道をかいちょきましたけん」
 目の前には、雪かきの終わった長く伸びる歩道が続いていた。楽に歩けると体の底から喜びが湧いてきた。お祖父さんの家の前からでも学校までは四百メートルはあるのに、雪かきは大変だったろうなと思いを巡らせた。
 やっとのことで、学校へ着いたのは、八時前。坂の上の学校には、もう教頭の車が来ていた。
「早いね」
「これが、4WDのいいとこですわ」
 教頭は、誇らしげに大きな車をたたいた。
 コンビニで買っておいたおにぎりを食べていると、電話が鳴り、慌てた声で保護者が怒りをぶつける声がした。
「県道のもっと下の方の子ども達が、歩道がかいてなくて歩けんで困っちょうます。いつも、役場がやっちょらいに今日は忘れておらいます。何とかして下さい」
 同じような電話が、三回もかかってきた。役場に電話しても、「道路は除雪しますが、歩道は普段からやってません」とのことだ。
 昨年までの大雪は、歩道を誰がかいていたのだ。いろいろな人に電話して分かったことは、去年までは土建業のYさんがやっておられたということだった。町が土建業者に委託しておられたと思った。すぐ、Yさんに電話した。
「今日は、子ども達の通学する歩道の雪がかいてありませんが……」
 受話器の向こうで、奥さんの申し訳なさそうな声が小さく響いた。
「昨年までは、うちの子が通学していましたので、姉が入学して弟が卒業するまでの八年間、ボランティアで除雪しておりました。今年はその子も中学生ということで止めることにしましたので……」
 恥ずかしさのあまり顔が火照るのを感じた。
「ごめんなさい。失礼なことを言いました。八年間ありがとうございました。ご主人によろしくお伝え下さい」
 しどろもどろで言うのがやっとだった。Yさんがたまたま土建業だったので、小さなブルトーザーで歩道を除雪しておられても、町の委託の仕事でやっておられると地域の人達が勘違いしていたようだ。Yさんはそんなことに気づいていても、黙って八年間早起きして除雪をしてこられたのだ。
 雪道を歩くことが、どんなに大変か分かった。子ども達が約二キロの除雪された歩道を、楽しく遊びながら通学していただろうなと想像できた。徒歩での出勤を通じて、雪道を歩く事の大変さと除雪してくれる人の温かい思いが分かってきた。
 また、電話がかかってきた。歩道の除雪要求だった。今知ったことを保護者に早口で話すと、電話の向こうの声は小さくなり恐縮しておられるようだった。
 昇降口で雪かきをしていると、学校からずっと下の方に家のある子ども達が、お父さんやお母さんの車で送られて来た。雪をぶつけ合いながら、嬉しそうにきゃっきゃっとはしゃいでいる。保護者で相談して、今後は手分けして雪かきすることになったと、後で知った。
 子ども達が並んで歩いてくる校庭は松も桜も滑り台も柔らかな雪で覆われ、遠くの山々は銀の雲のように眩しく光っていた。

◇作品を読んで

作者が、かつて何年間か勤務されていた地域は、雪の多いところであった。それぞれの季節に起きたいろいろなことがあったのだろうが、作者は雪の朝のことを思い出された。
 ある朝、突然に降った雪が持ってきた心温まるエピソードを中心に据え、助け合って暮らす人達の思いが、白く深い雪を背景に淀みのない筆致で描かれている。
 人の関係が希薄な都会では薄れてしまった人情、触れ合いや支え合う心が、雪深い地域には残っていた。
 昇降口で雪をかき、手を休めて、遠くの山を眺めた作者は、そんなことを思われたのではないのだろうか。「眩しく光っていた。」という結びの一文が、その気持ちをよく表しているように思える。
 余談だが、作品に登場する宿は、大東町海潮にある「民宿 北の宿」である。