春夏秋冬日誌 見た目が九割
森 マコ
平成20年1月10日付け 島根日日新聞掲載
平成二十年の幕開けは、出雲大社への初詣だった。 元旦は、ひたすらテレビにかじりついていた。玄関に注連縄を飾り、雑煮を食べて、そのまま炬燵に潜り込んだ。 寒波がやって来たために外出しなかった。炬燵から首だけ出して、リモコンでチャンネルを動かしてテレビを見た。あまり面白くはなかったので、そのまま寝てしまっていた。 うつらうつらとしていたが、元旦からこのような事では正月神様に申し訳ない。 炬燵にはまったまま、思い切り伸びをした。仰向けのまま伸びをしたので、たまたま頭もとに置いてあった本数冊が荷崩れを起こした。本は五冊ぐらいが、丁度まくらの高さによいのでよく本を枕に、うたた寝をする。 荷崩れを起こした本は、英語で書かれた『国家の品格』(英語で書かれたやつ)、『女性の品格』、『ダメならさっさと止めなさい』、『面接の達人2008バイブル版』。それから、『見た目が九割』などなどだった。 そのままの不自然な姿勢で眼鏡をかけて、五冊の内の二冊を手元に引き寄せたのは、『女性の品格』と『見た目が九割』だった。二冊とも読んでしまった本である。 「おお、そう言えばやつ≠ネどとは言わないで、国家の品格(英語版)とすべきであった」 品位を失わない程度の独り言を言った。 「見た目が九割、ならば私の格好はヤドカリかい?」 声がテレビの音声にかぶった。 炬燵を背負った格好のまま、殆ど移動しないでヤドカリみたいに過ごした。 二日はぜんざいを食べた。家族の誰もぜんざいを美味いとは言ってはくれなかった。 「あらあ、このぜんざいはおいしいわあ」 「一体誰が作っただろうねえ?」 「それは、私です」 美味いぜんざいを、声を出して自画自賛した。そのあと今年は何をやろうかなあなどと、漠然と考えた。 朝昼晩三食とも美味いぜんざいを食べ続けた。 三日目――。 「今日こそは出雲大社さんにお参りに行こう」 朝、目覚めた瞬間に霊感が心をよぎった。寒波が去り、いい日和だったからだ。 初日を拝んだ時のような、謙虚な気持ちになった。暖かいと体の血がぐるんぐるん駆けめぐる。思考が活性化されていく。モチベーションが上がっていくのが分かった。 「せっかく、天気も快復したのだから、今日は出雲大社まで歩いて行こう」 口に出してしまっていた。 家から大社までは、約六キロの道のりだ。歩いて行くからには、本格的な格好をしないといけない。膝が痛くなって途中でバスに乗ることになりかねないからだ。 早速、体操服を着て、その上からウインドブレイカー(防寒着の上着とズボン)まで着込む。足許はウオーキングシューズ。胸ポケットに賽銭を入れて、革手袋をはめた。 「おおお、オンナターミネーターみたいだ」 あまりの格好の良さに我ながら驚いた。これから初詣に行くのではなくて、新春マラソンをするみたいだ。気持ちだけだが多少退いた。 家を出てから、三キロ地点まで来た。 「もしもし、私と一緒に大社さんへ初詣しない?」 大社町に住んでいる妹に携帯で呼び掛けて、車で迎えに来てもらうことにする。妹と二人連れで大社さんに参ればと、歩きながら携帯電話を掛けたのだ。 妹は快く、迎えに行くと言って場所を聞いてきた。 「高松の八幡神社。松の木の下で待っているから」 手短に場所を答えて電話を切った。八幡神社は、大社街道沿いにある。松の木は街道に面している。体操服を着ているので、松の根元にしゃがんで待った。八幡神社横を県外車が何台も通り過ぎる。正月は大社街道も賑やかだ。というよりは普段よりも交通量が多い。 ボンヤリと過ぎゆく車を見ながら待っていると、妹が運転する車が私の横に着いた。 「まあ、お姉さん、何て格好なの。体操服で初詣なんてするなんて」 「……」 「八幡神社で待つ、と言うからおかしいと思ったわ」 新年早々、立て続けに妹のけたたましい声が響いた。 直ぐに返事をしないでいると、呆れた顔をして、大きな溜息をした。 「私の格好と、お姉さんの格好ではツーショットでは歩けないわ」 妹は、大社にお参りに直ぐに行けるようにと、毛皮のコートに身を包み、パンプスを履いている。おまけにサングラスまで掛けている。 妹の隣に乗り込んだ。私の服装のことをネチネチと言うので、小さくなって座った。 「あなたがなんと言おうと、私は体操服で行くから……」 今更、服装はどうしようも無い。妹に口紅を借りて付けた。サンローランの真っ赤な口紅だった。それから妹のサングラスを外してもらって掛けた。 「ちょっと、私たち顔だけは、叶姉妹みたいよねえ。顔だけ、ゴージャスということよ」 苦し紛れに言ってみた。 昨日の枕にしていた本の題名が思い浮かんだ。確か――見た目が九割。 こうして、三が日はつつがなく終わった。今年も、超マイペースで過ごせそうな良い気分であった。 |
◇作品を読んで
青藍に載せた昨年最後の作品は『大歳の夜』であり、今回は、初詣を題材にした森さんの『春夏秋冬……』で、平成二十年を始めた。 題材の呼応が面白い。作者は、それを意識して書いたのかもしれない。 志賀直哉『城の崎にて』のように、書き出しと書き終わりを対応させるという文章構成法がある。 最初、作者は何を言おうとして「本の荷崩れ」を書いたのかと思い、不安になって読んでいると、終わりのところで「ああ、そうなのだ」と安堵する。 タイトルと冒頭の「見た目が九割」が、最後のところで見事に結実した。 文章が一つの輪になっているのである。あたかも回遊魚が一年をかけて戻ってくるように落ち着くところに収まった。作者の技である。 |