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    胃カメラ体験記
                       
     津井 輝子                   
                                                                                   平成19年12月13日付け 島根日日新聞掲載

 生まれて初めて胃カメラを飲んだ。
「このごろはサイズも小さくなって、前みたいに痛くはないよ」
「上手な先生だったら、すぐに終わるし、楽なもんだ」
 人間ドック諸先輩方のそんな会話を素直に受け取り、高をくくっていた。根が何でも楽観視する方だ。あめ玉一個丸ごと飲み込むつもりで当たれば何てことない、と自分に言い聞かせ少々意気込んでもいた。
 さて、私が行ったのは、比較的大きな総合病院だ。ドック最終項目、いよいよ胃部検診の番がきた。内視鏡検査室の自動ドアを踏む。と、中にもうひとつ小さな病院が開けた。
 右手に受付カウンター、その向かいに長椅子が二脚並んでいる。正面奥が五室くらいに分かれており、検査はその個室で行っていると思われた。かなり繁盛している様子だ。
 検査を終えて出てくる人、入っていく人、名前を呼ぶ人、待つ人、キビキビと立ち働く人たちで、他の病棟に比べるとひどくざわついていた。
 長椅子に腰掛けて待つこと五、六分、私の名前が呼ばれた。検査前の処置室に案内される。先客が二人いた。椅子にもたれ、心持ちあごを上げ口を固く閉じている男性。何をしているのだろうと思いながら少し離れて座った。看護師さんから検査についての説明を受ける。そしてコップ七分目ほどの液体を手渡された。胃の中の泡を消すためだと聞き、一息に飲んだ。次にのどの痺れを促すゼリーを含まされた。
「上を向いて、飲まないように五分おいてください。あの時計で十一時十八分ね。終わったらティッシュに吐き出して」
 ほどなく、どろっとした苦味が舌の奥に広がった。
 と、となりの男性二人が、
「グェボッ・オェー・ペッ・ペッ」
 盛大な音とともにゼリーを吐き出した。
(ああ汚い。やめてほしい。それほど苦くはないでしょうに。待てよ、私が何ともないということは、もっと奥に含まないといけないってことなのかな?)
 不安になってきた。少し顔をそらしてみるが、これ以上やると飲んでしまいそうだ。目玉だけが上を向く。ゼリーがのどの入り口でうろうろする。それでも多少痺れてきた。五分経った。私はできるだけ品よく、音をたてないようにそっとティッシュに吐き出した。
 見ると先ほどの下品な人たちは、肩に筋肉注射を打たれている。胃の動きを抑えるためらしい。
(みっともないから、胃カメラ飲んだときはゲボゲボやらないでよ)
 横目で毒づいた。
 しばらく待って、ようやく私も検査室に呼ばれた。一番はじの部屋だ。
(どうか、上手な先生でありますように)
 祈りながら中に入る。
 意外と狭くてうす暗い。ここで私は筋肉注射をされた。どうということない。
「のどの麻酔をもう一度行います」
 今度はスプレーでシュッシュッ。と、これもあまり麻痺した感じがしない。
「左を下にして横になってください。足は軽くひざを曲げ、体の力を抜いて」
 恐怖心はないので、言われるとおりに楽にできた。
「では、マウスピースを噛んでください」
 直径三センチくらいの筒状のものを口の中に入れられるが硬くてすべる。一旦はずして質問してみる。
「先生、歯でちゃんと噛むんですか? 舌はどこに置いたらいいのでしょう」
「舌はシタに。なんちゃって」
「……」
 という場面展開を期待していたが、実際は至極まともな答えが返ってきた。
「真ん中にカメラを通しますから舌は奥のほうへ沈めておいてください。ああ、返事はしなくていいです。ではいきますよ。らくーにして」
 きゅっきゅっ。あめ玉がのどを通過する。ぐいぐい。
(なんだ。やっぱりたいしたことないじゃない。うっ?)
 つうつう。ぐいぐい。(なんだ? からだが串刺しになったみたいだぞ。話が違う。これでは、あめ玉でなく千歳あめじゃないか。)
「はい、上手ですよ。もう少し。あっ、目は開けて。遠くを見てください」
 涙が出そう。
 遠くといっても狭い部屋だ。体は動かせないのだから、視線の先は壁際の冷蔵庫のような四角いものを捉えるのみだ。それが一番遠い。看護師さんがごそごそと何か出している。薬品などが入っているのかもしれない。
「もう少しですよ。我慢して。うーん、ポリープがあるようですね。生体検査に回しましょう。ちょっと、もう一度奥に入れますよ」
 終わりそうだったのに、看護師さんから針金のようなものを受け取り、口の中に差し込んでいる。口の中に棒を差し込まれた蛇。見たこともないけれど、自分が一直線の蛇になった気がした。
「はい、終わり。ああ、ついでにピロリ菌検査もしておきましょうね」
 先生のことばに看護師さんが、またあたふたと例の冷蔵庫から道具を取り出して準備をするのだが、その遅いことといったら……。
(早くして。もう、早くしろ。殺す気か)
 哀れな蛇はジタバタすることもできず、品よくゼリーを吐き出したことも忘れ、気持ちだけがのたうち回っていた。
 先客の男性に毒づいた報いなのか、ついにゲボゲボ、オェーをやってしまい、我慢するあまり涙が出た。時間にすれば十五分ほどだろうか。早ければ五分と聞いていただけに長く感じた。カメラを抜かれたあとは、さすがにぐったりとした。
「これから二時間は、食事をしないように。検査の結果は、約二週間後にお知らせします」
 結果なんてどうだっていい。ただただ体が曲がるようになったことが、うれしかった。

◇作品を読んで

 誰でも経験し、よい印象を持たないのが、胃カメラによる検査である。正しい言い方は、上部消化管内視鏡検査≠セと知り合いの医者に聞いた。内視鏡を口や鼻から入れ、内部の様子を撮影する。ところが人は、異物が喉に触ると反射的に吐き出そうとする。
 書かれているように、抑えようと思ってもどうしようもない。作者も、「飴玉一個を飲むつもりなら何てことない」と、自分に言い聞かせて臨んだが、結果は哀れな蛇となり、惨憺たるものだった。最後の一文にそれが凝縮されている。適切に挿入された会話が、描写をリアルにしている。