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   命の紋様 
                            思吐露 もどろ                   
                                                                                   平成19年11月22日付け 島根日日新聞掲載

 「おっさん。平安時代のさ、人間の寿命、知ってるか?」
 駅のトイレで小用をしていたら、若い男が隣りに来て、用を足しながら話しかけてきた。
 こんな恰好で、見知らぬ者に難問を浴びせられ困惑しながら、「四十半ばかな――」と、考えもなしに答えた。
 「ばかな――三十二だよ」
 得意そうな丸顔が、間近にあった。
「鎌倉時代は知ってるか?」
 正解を期待していないのか、顔を合わさず壁に向かったまま重ねて聞いてきた。
 返答に窮していると、
 「四十だよ」
 そう言い残すと、手も洗わず、ジーパンの後ポケットに両手を突っ込み、肩をいからせながら出て行った。

 石見銀山を訪ねた。
 勝手なもので、世界遺産という肩書が付くと、街並みまで生まれ変わったように見えるから妙だ。
 初めて、間歩に入った。
 いきなり、古代彫刻とも思える単純な紋様が目の前に現れた。岩盤を打ち抜いたトンネルの肌は全てのみの跡である。
 何世紀にも亘って受け継がれた、数知れぬ人による合作芸術である。
 しかし、単調な作業で彫られた同じような形状も、よく観察すれば人の数だけの思いの跡が微妙な違いを見せているようであった。
 間歩の随所に、採掘歴史の解説がある。読み進む内に、坑夫の寿命についての記述に目が留まった。
 大半が二十歳台で没し、三十歳まで届くのは稀であり、そういう人達は長寿を祝ったという。
 読み終えた時、ふと件(くだん)のトイレ男とのやり取りを思い出した。
 男の言うことが正しいとすれば、平安時代に三十二歳であった寿命が、何世紀もの時を経て、二十歳半ばで終えることになった坑夫の人生について、どのような思いを巡らせばよいのだろうか。
 狭い坑道で、手元を照らすカンテラの炎に酸素を奪われ、呼吸さえ満足にできなかったのではないだろうか。
 海外の異文化を購(あがな)う資金づくりのために、苛酷な労働も仕方がなかったのだろう。その裏には、数え切れない哀話が封じられている。
 ただ、慰めを探すとすれば、宿命から逃げ出すことが出来なくとも、生命と引き替えに多額な報酬を得て、短い生涯を楽しんだのだろう、ということに行き当たる。そう考えると、なぜかほっとする。
 岩肌の紋様を手でなぞり、時空を超える情感を掘り当てたような気がした。

◇作品を読んで

 冒頭の書き出しが、意表をついて面白い。この部分だけからでも、一つの作品ができそうである。
 空白行を置いて、「石見銀山を訪ねた。」と話題を変える。余分なことを書かず、切れ味のよい場面転換を構成し、命について考えることになった石見銀山の坑道へと話を進める。
 読み手は、この一見、何の関係もなさそうな導入部分が読み進むうちに生かされていることに気付き、冒頭に立ち戻る。
 五百を超える間歩の壁面に刻まれた銀採掘の、鑿の跡を作者は芸術だとも感じたが、その裏には幾多の哀話があったのだろうと数百年前に思いを馳せた。
 作者は岩肌をなぞりながら、「時空を超えて坑夫の情感」に迫る。作者の優しさが感じられる。