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   まだ千の風になっていない
                            糸原 静                   
                                                                                   平成19年10月17日付け 島根日日新聞掲載

 久しぶりに入院している父を見舞った。一か月前に会ったときより、かなり衰弱している。
 今年の初めに、既に医者に諦められているのだが、まだ頑張っている。持ち直したり、危なくなったりするたびに、われわれ家族は、一喜一憂してきた。もう、いつどうなっても仕方がない、と覚悟している。できるだけ苦しまないで逝くことだけが願いだ。
 一歩一歩、あの世へ向かっているのだが、境の壁を簡単に乗り越えられないでいる。
 ときどき呼吸が止まり、痰が詰まって苦しそうにする父のことを、
「生きるために戦ってるんですよ」
 と、医者は言う。
「やぁやぁ、お父さん、頑張ってるね」
 激しい性格の、忍耐強い父だから、辛そうでも、気軽に応援したくなる。
 それでも、ずっと見ているのはいやだ。こちらが辛くなる。
 鼻をちょっとつまんであげたくなる。そうしたら楽になれるのに。
 恐ろしいことだろうか。
 人が苦しんでいる姿を見たら、何かしてあげたくなるのが人情だ。何もしないほうが酷いではないか。楽になるのを助けてあげるのは優しさだ。それを魔がさした≠ニいうのか。
 数年前に義父母の最期を見た。ふたりとも、すんなりとあの世への壁を越えて行った。
 義父はひたすら眠って、晩年の日々を送った。すぐ傍で太鼓の大音声が鳴り響いても、気にならない。この世に関心をなくし、とにかく眠りたがった。
 義母は、亡くなる前日の午後、医者からもうだめだと言われた。それでも、まさか、翌朝に逝ってしまうなんて思わなかった。意識が朦朧としたり、辛そうなこともあったが、頭はしっかりとしていて会話もできたのだ。昏睡状態になったのは、亡くなる数時間前だった。
 義父母に比べたら、父は、あの世への壁を乗り越えるのに、大苦戦している。最期通告を何人もの医者から受けた。四年前に父を見捨てた医者は、まだ生きているのを知って驚いている。
 生への執着が強い父である。

秋の病院祭り≠ニかで、病院の駐車場が賑やかだった。車椅子の人たちが居並ぶ前で、ダンスやコーラスを披露していた。
 聞こえてくる歌声に、ぎょっとした。

 わたしのー、お墓のまーえで……

 えっ?
 有志のコーラスグループなのだろうけど、ここはどこだか知っているのだろうか。自分たちの歌を聞いているのは誰だか知っているのだろうか。死≠ェすぐ傍まで来ている人たち、死≠ニ戦っている人たちの前で、よくも歌えるものだ。気持ち良さそうに歌っている人とたちの無神経さに、呆れてしまった。
 入院患者は生きるために戦っている。
 まだ千の風にはなっていない。

◇作品を読んで

 今年の夏であった。この欄に大田静間さんが、「千の風になって」というエッセイを書かれた。誰でも耳にしたことのある歌を素材にされたその作品が、文学教室でひとしきり話題になったのである。「糸原さん、続きを書いたら?」と、ある方が言われた。糸原さんは、そうね――と満更でもない表情であった。
 二か月後、「今月の作品です」と、見せていただいたのがこの作品である。他の方が書かれた作品に触発されて、「私は、こんな題材で書く」ということなのである。かつて文学教室に参加されていた柳楽文子さんが、この夏、『人生すごろく』という本を出された。あるいは? その内容も影響したのかもしれない。