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   秘 密
                         篠原 紗代                   
                                                                                   平成19年9月13日付け 島根日日新聞掲載

 洗濯機を買い換えた。水漏れがすると思ったからだ。
 旧洗濯機は、十二年もの間、我が家で働いた。子供の成長期に、私を助けてくれた。いとしい洗濯機だ。
 その前の洗濯機は二槽式だった。壊れたのではない。引越し先の洗濯機置き場には全自動式しか置けない、という理由で買い換えた。
 もう一つ前、初代の洗濯機は、ダイヤル式だった。ダイヤルが壊れてタイマーが働かなくなっただけだ。ダイヤルを回して押さえていれば、洗濯をしてくれた。修理に出そうとしたが、直す部品がないと言われて買い換えた。
 だから、洗濯ができなくなって買い換えたことは今までにない。壊れるというのが、どうなることなのか知らなかった。
 友人たちに訊いてみたことがある。何人かが同じことを言った。
「水漏れがするのよ」
 洗濯機が壊れるというのは、水漏れがすること、そう理解した。我が家の洗濯機も、壊れるときは水漏れがすると思っていた。
 洗濯機の平均寿命が実際はどれほどなのか知らないが、勝手に十年を目安にしている。最初の二台は、十年に満たずに手放した。三台目に対しては、十年を過ぎたころから、洗濯をするたびに水漏れがないか気をつけていた。家の中が水浸しになったら嫌だからだ。洗濯の度に手で床を触り、濡れていないか確かめていた。
 毎年、梅雨が明けると、家中のカーテンを洗濯している。晴天で高温低湿が続くこの時期は、洗いっぱなしで元の位置に掛けておけばよい。すぐ乾く。今年も実行した。数枚ずつ、何日かに分けて洗う。
 ほとんどのカーテンを洗い終えたころ、二日続けてだったが、洗濯機の傍の床に水溜りを見つけた。
 四十キロもある洗濯機をひっくり返すのは無理だ。底がどうなっているのかわからない。でも、二日も続けて床が濡れているのは、大した規模ではないが、やはり、水漏れだろう。
「いよいよ洗濯機が壊れたんだわ」
 心待ちにしていた初めての経験が、やっと来たという気分だった。
 現代の生活で、洗濯機は家庭の必需品だ。手洗いでは過ごせない。早速、買い換えることにした。
 新品が来るまでの数日、洗濯機の回りに雑巾を置いて、最低限の汚れ物をお急ぎコース≠フ機能を使って洗濯した。できるだけ水を使わず、短時間で洗う工夫である。
 ところが、あら不思議、まったく雑巾が湿らないのだ。次の日も、そのまた次の日も、雑巾は乾いたままだった。
 洗濯機は、壊れていなかったのだ。
 そういえば、あの二日は、両日とも、フックがいくつか付いたまま洗おうとした。気がついて、既に水が入っている洗濯槽から、カーテンを引っ張り出して、フックをはずした。水溜りは、フックに付いていた水が床に落ちただけなのだろう。
 あわて者ぶりにあきれた。まだ使える洗濯機を捨てることにしたのだ。もったいない。物は壊れるまで使うのが、私のモットーである。
 注文した洗濯機をキャンセルしたかったが、電気屋さんにかかる迷惑を考えるとできなかった。それ以上に、家族に私の粗忽さがばれるのは嫌だった。モットーに反する行為を自らやってしまったのを知られたくない。
 家族には、秘密にしておこう。
 今回もまた、洗濯機が壊れるという現場を見ることができなかった。残念だ。
 悪いことばかりではない。新しい洗濯機は、十年以上前の製品に比べたら音が静かで、省消費電力である。使用水量も少なく、洗濯時間も短い。何よりも、当分の間、いつ壊れるかわからない不安から解放された。
 無駄遣いをしてしまったと悔やむ自分を慰めている。

◇作品を読んで

 このところ新聞やテレビなどに、家電製品の経年変化などによる事故の話題が登場している。それに合わせたというわけではないが、電化製品である洗濯機の買い換えの話は、タイミング的に面白い。偶然にそうであったとしても、時期的な内容を書くというのは、読んでもらうためには効果的である。
 作者は考え違いから、新しい洗濯機を買うことになった。物を大切に扱い、長く使いたいというのが主義であるのに、あろうことか逆な事態を招いた。それを「秘密」にしておこうとしたのだが、こういうことは、どこの家庭でもありそうだ。そのあたりの心の動きは、読み手の共感を呼ぶだろう。タイトルは、読み手に何だろうと興味を持たせるという意味で、切れ味もよく的確である。