克ちゃんのくれた夏祭り
坂本 達夫
平成19年8月30日付け 島根日日新聞掲載
「司会をやってもらえませんかね」 不安そうな顔をした、娘婿が言った。彼が住んでいる斐川町の地区で、若者会が主催する夏祭りがあるという。若者会の会長なので挨拶と司会を担当しないといけないらしいが、シャイな彼には、その役割がかなりな重荷のようだ。私は、彼の大役を気の毒に思いながら言った。 「あんたの所の祭りだから、他の所の者が急に行って司会なんかできんよ」 祭りの当日、午後六時頃、娘婿の家に行った。食事を終えた後で祭りに行ってくれと、彼の母親から案内があったからだ。 刺身にかまぼこなどが食卓に並べられ、ビールを飲み始めた。大阪のおばさん夫婦が入って来て、挨拶を交わした。おじさんの顔は日に焼けて、黒光りしている。コップのビールを一気に飲んで、気持ちよさそうな笑顔で話しかけられた。 「私は今、大阪の中学校で野球部のコーチをしているんだけど、この頃の生徒はだめだね」 「へえ、暑くて大変でしょう」 それでこの黒い顔なのかと、納得しながら相槌を打つ。 「この炎天下でね、三十分と練習ができんですわ。昔は二時間でも三時間でもぶっ通しで練習をしたもんですけどね。人間がひ弱でわがままになってますわ」 「大変ですね。僕なんか、歩いているだけで汗がびしょびしょですわ」 「親子みたいな監督さんでね。二十六歳の私の子どもみたいな先生ですわ。生徒が怠けとっても、よう叱らんです。叱ると逆に生徒が切れたりするもんでね」 「スポーツの世界でもそうなんですか。指導ができませんね」 「私がもっぱら叱る役でね。一番ひどい時なんか、胸ぐらを掴んで、地面に押し倒しましたわ。それを先生がやると、暴力教師ということで問題になりますからね」 「それじゃ、その若い監督さん、腫れ物にさわるような指導をしておられるんですね」 都会の教師達の苦労がわかるような気がした。私も島根の小学校教師である。高学年の雰囲気の悪い学級で大声で怒ったりすると、教室のあちこちでひそひそ話がささやかれたりして不愉快になったことを思い出していた。 少し前の新聞には、不登校五年ぶりに増加≠ニ書かれ、中学生の三十五人に一人が不登校になっているという。原因は本人の非行、友人関係、いじめなどで、これからの若者の行方を心配するような記事だった。 「お父さん、祭りに行こうや」 娘からの催促は、日本の行く末を心配していた私にとって、現実に引き戻される言葉だった。 娘が車で、地区の公民館に連れて行ってくれた。周囲が青々とした田園に囲まれた場所にある。部屋はステージとなり、ライトで照らされていた。広々とした運動場には青いシートが敷かれ、観客席になっている。客は一人もいなかった。傍らに建てられたテントでは、若者会のメンバーが、ビールや焼酎、枝豆などを売っている。 開演前だというのに、お客は妻と私だけで妙に恥ずかしい気持ちで座っていた。そんなわけで催しが成功するか心配であったが、周辺に住んでいる人達が少しずつ集まって来た。娘婿の親戚の者や大阪のおばさん夫婦、私達を含めた婿さんの一族が応援に寄り集まって来るのも、微笑ましかった。 私と親しかった克ちゃんのお母さんにも会った。克ちゃんは数年前、四十代前半の若さで突然亡くなり周囲の者に衝撃を与えた。 「今日は克美と一緒に働いていた人がやっている太鼓の人達と、同じ会社の娘さん達のよさこい踊り≠呼びましたけん、楽しんでいってください」 克ちゃんのお母さんが言われたのを聞き、ささやかな祭りにこんな豪華なイベントが計画されていたことに驚いた。 「いろいろと皆さんに、お心遣いいただきましてね。克美の供養ですから……」 体中に稲妻が走った。今でも友と思っている克ちゃんの供養なら、気合いを入れようと思い、私は背筋を伸ばした。 まずは祭りの前座で娘婿の挨拶が終わると、子ども達が一人ひとりステージで太鼓を叩いた。 薄暗くなった会場のお客の前に、よさこい踊りの娘達が並んだ。高校生や二十代の若い娘達が、十四、五人。ピンクを基調にした衣装に黒い帯、背中には赤い布がひらひらしている。両手で鳴子を鳴らしながら、しなやかに踊っている。薄暗い中でよく見ると、白ぎつねの面をつけて踊っている娘もいる。 たった三十人ばかりのお客さんに、もったいないような出し物だった。誰からともなく、手拍子が始まり、踊りが終わるまで続いた。 踊りが終わると司会者が、「どうですか? アンコールなどは」と聞いた。 カチカチカチカチ、鳴子が響く。跳んだり跳ねたり、体を後ろにそらしたり、一曲目よりもっと激しい踊りだ。両手が右にいっていたかと思うと、いつの間にか左のほうへ沖縄風の衣装が美しく翻る。客席からの手拍子も鳴りやまない。踊り子と客席が一体になっている。 もっと続いてほしいと思っていたのに、気が付いた時には終わっていた。少人数の客達全員が、精一杯の感謝の気持ちで拍手をした。 続いて、四人で抱えないと持てないほどの大太鼓が中央に、中太鼓が前に置かれた。六人の若者の手で叩かれる。その素早い手さばきに、先ほど太鼓を叩いていた子ども達も呆然として見ている。黒ずくめの若者達によって、太鼓は軽快なリズムを刻んでいく。 中央でドンドンと地面に響くような大太鼓が鳴る。横にして置かれた中太鼓は、体を斜めにした若者達の振り上げる撥が、バチンバチンと激しい音を立てる。「飛龍」や「宴」という曲が続く。アンコールでは大梶七兵衛をテーマにした曲が暗い夜空に消えていった。 片付けが始まり、克ちゃんの母親がリーダーにそっと心付けを渡していた。 私はこの若者達の弾けるような躍動感を見て、もしかしたら日本の将来は明るいかもしれないと思った。 「元気を出せよ」 ニヤッと笑った克ちゃんの声が、遠い夜空から聞こえたような気がした。 |
◇作品を読んで
この作品は随筆だが、平成十四年十二月十一日の、この欄に掲載した「さらば友よ」の続編とでもいうべきものである。それは、体調をくずして亡くなった克ちゃんを追悼する小説であった。そして五年が経った今年の夏、偶然にも克ちゃんに関わりのある祭に出会ったのである。それだけ作者には思いの深い克ちゃんであったということだろう。二つの作品を一つにするという方法もあるかもしれないと思う。 会話文から入った冒頭は、読み手をすぐさま作品世界に引き込む効果がある。短いものには有効な手立てだ。 結末で、仕事がら悩みの多い作者に、酒が好きであった克ちゃんが「元気を出せよ」と呼びかける。いい終わり方である。 |