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   それでも編みたい
                         篠原紗代                   
                                                                                   平成19年8月15日付け 島根日日新聞掲載

「おまえのペン胼胝、すごいな」
 久しぶりに会った兄が、唐突に言った。左手中指の第一関節が赤く腫れ上がっているのだ。腫れた分だけ皮膚が引っ張られ、薄くなっている。透き通りそうだ。ペン胼胝ではない。私は左利きではないし、腫れているのは外側である。
「違うわ。へバーデン結節っていう不治の病なの。痛いのよ」
 わざと弱々しい声色で応えた。
「病気なのか」
 心配してくれる兄に、元気よくニカッと笑いかける。
「そうよ、よく働きましたっていう証拠の病気なの」
「そりゃ何だ」
 気が抜けたようだ。傍らにいる兄嫁が怒ったように言った。
「私だってなってるわよ。知らなかったの?」
 兄は決まり悪そうに、黙ってしまった。兄嫁と私は手を翳して腫れ具合を見せ合い、病気自慢を始めた。兄は、聞いているだけだった。

 手編み大好き人間の私が、『へバーデン結節』に気がついたのは二年前、五十歳を少し過ぎたころだった。
 私にとって手編みは癒しである。時間があれば手編みをしている。一本の糸から作品の出来上がりを想像し、制作する楽しみは、雑事からの遁走である。
 糸の性質や編みあがりの具合で、夏糸は鈎針で、冬糸は棒針で編む。なぜなら、それぞれの糸と針の相性がよいからである。それが今までの私流だった。なのに二年前は、冬糸も鈎針で編んでいた。
 二つの技法は、針を操作する右手だけではなく、編地を支える左手の動作も違う。鈎針編みは、右手で一針編むごとに、編んだ根元を左の親指と中指で押さえる。一目編むのに、棒針編みより左指を動かす回数が多い。
 年が改まるころ、両手指の第一関節のいくつかが腫れているのに気付いたが、痛くはなかった。編み物をしていると節が太くなるなぁくらいの気持ちだった。
 桃の節句がもうすぐとなり、冬糸の整理を始めたころ、腫れが気になりだした。両手を広げて見たら、ほとんどの指の第一関節の両側が、ペン胼胝みたいに腫れている。触ると固い。軟骨が増殖しているようだ。特に左中指の外側がひどかった。突起がふたつもあって、赤く、先端は皮膚が透き通るようだ。指先は、外側へ曲がっている。爪にも横筋が入り、付け根の表面の感覚が少し鈍い。左手は鈎針を持つ手ではないし、針先が当たることもない。
 異常だ。怖い病気だったらどうしよう。手編みができなくなったら、人生の楽しみを奪われるのも同然である。あわてて病院へ駆け込んだ。
 整形外科で、レントゲンを撮ったり、血液検査をしてもらった。膠原病やリューマチの疑いは払拭され、『へバーデン結節』であることがわかった。中年以上の女性にしか起こらない疾患で、加齢に伴って見られる変形性関節症の一種である。
 このとき、まだ痛みはぜんぜんなかった。あっても対症療法で取り除けるが、変形は治らないそうだ。
「もう白魚のような手には戻れませんよ」
 医者から宣告されてしまった。ショックではなかった。
 もともと白魚のような手ではないのだ。指は太くて短く節があり、掌の方が大きい。爪も寸詰まりだ。指輪もマニキュアも似合わない。
 もっと心配していることを、おそるおそる尋ねた。
「手編みは続けても良いのでしょうか」
 にっこり笑って応えてくれた。
「脳の老化を防ぐために、指を動かすことはいいことですよ。ぜひ続けてください」

 やがて夏糸の季節になった。伸縮性の少ない夏糸を棒針で編むのは不得手なので、鈎針ばかり使う。
 左中指の腫れはますますひどくなり、痛みも加わった。ペンチで押さえつけられる感じだ。編むときはもちろん、家事などの手作業をするときも痛む。
 次の冬もほとんど鈎針で編んだ。棒針で編めば、指はさほど痛まない。わかってはいるが、鈎針編みの面白さに嵌ってしまっていた。
 棒針編みは編地に弾力があるので、着るには楽だが型崩れしやすい。鈎針編みは、伸縮性が少ないだけ、できばえにきちんと感がある。そこが気に入ったのだ。
 今、夏真っ盛りなのに、糸の世界では、夏物は終わりに近づいている。秋冬物の講習会が始まった。流行は鈎針編みに傾いている。新作の糸を見ると、夢が膨らみ、編みたい気持ちが高まる。
 年齢を考えれば、針の種類に関係なく、なるべくしてなった疾患だろう。手編みのせいにしたくない。ちょっとだけ時期が早くなっただけだ。
 何もしていなくても痛むことがある。左中指の第一関節の周りを、細い紐か何かで締め付けられるようだ。痛くて、千切れるかと思う。
 痛くてもそれが身体に悪いわけではないのを知っているから、心配しない。
 心配はしないが、痛みはやりすぎだよ、休みなさい≠ニ身体が訴えている証しだろう。それは肝に銘じている。
 でも編みたい。痛くても編みたい。

◇作品を読んで

 老化をどう防ぐかというのは、万金を積んでも叶えられない人類誕生以来の願いではないか。
 作者は指の異常に気付き、好きな編み物のやり過ぎからではないかと思った。病院で、ヘバーデン結節と診断される。一般的に四十歳代の女性に比較的多く、男性の十倍らしい。痛みがあり、なかなか治らないと分かる。手編みによる指の酷使ばかりではなく、年齢的な体の変化からだろうと作者は納得する。
 それにしても、痛みはあるものの編み物は止めたくはない。その辺りの気持ちの揺れが書かれているくだりは興味深い。へバーデン結節は誰にでも起こるというものでもないようだから、読み手にはない体験が含まれている文章には臨場感がある。