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   毒 蛇
                         森 マコ                   
                                                                                   平成19年8月8日付け 島根日日新聞掲載

 簸川平野に出雲空港が出来たのは、昭和四十一年六月のことだった。宍道湖に近い川縁の草むらに住んでいた毒蛇の家族が、空港駐車場のひと隅に追いやられてから、四十年が過ぎた。空港が出来た当時、飛ぶものはトンボとプロペラ機だけだったのだが、昭和五十五年にジェットが発着するようになってから騒音は酷くなり、交通量はウナギ上り。
 今年も、また夏がやって来た。空港在住の毒蛇一家は、轢死の可能性がグンと高くなったので、できるだけ巣から外出しないようにしていた。毒蛇とて命が惜しい。蛇も人間と一緒で、不慮の事故に遭うことのないように、道路横断のときは左右確認をする時代に入った。時代の波に流される毒蛇は、不幸を背負ったのだ。
 我慢は限界に達した。毒蛇は家族会議を開き、静かなところへ引っ越すことにした。新しい棲み家を探さなくてはならない。
 父ヘビと子ヘビが、新居を捜すために偵察に出かけることになった。
 噂によると、空港の近くには荒神谷という実に快適な蛇団地があるようだ。何でも沢山の銅鐸が出たところで、空港駐車場よりは格段に静かなところらしい。棲み家にはうってつけだろうと、親子ヘビの話はまとまった。
 真夏の草いきれが充満する道なき道を、ひたすら荒神谷目指して歩きだした。荒神谷への道は、果てしなく遠い。
 偵察という重大な任務がありながらも、子ヘビは解放感に浸っていた。荒神谷は古代から続く緑深き谷……。子ヘビは、これらか始まる夢に思いを馳せた。
「とうちゃん。オレ達、毒を持ってんの?」
 子ヘビは、前から疑問に思っていたことを訊いてみた。
「何だい、突然に。もちろんさ、それも凄いやつをな」
 父ヘビは、胸を反らせて自慢げに答えた。
「オレ達、本当に毒……持ってんの?」
 もう一度、確かめるように訊いた子ヘビの声は震えていた。つい先ほどまでのウキウキ感は全く消え失せ、子ヘビの歩みが不意に遅くなった。父ヘビは颯爽と歩く。数歩うしろを、ひょろひょろとついて行く子ヘビ。父ヘビは、そんな子ヘビの様子など知る由もない。
 けもの道の遙か先を見つめて、熱っぽく語る。
「大昔から、俺達一族は毒を持っているんだ」
 父ヘビは、自分の言葉に酔っていた。
「俺達は、世界中で一番の猛毒を持った珍しい蛇なんだぜ」
「……」
 父ヘビは、返事をしない子ヘビを振り返って言った。
「なんでまた、そんなことを訊くんだい?」
 子ヘビは、へろへろしながら呟いた。
「ああ、ちょっと舌を噛んじゃってさ……」
 子ヘビの膝が、がくっと崩れ落ちた。
 荒神谷の緑が一段と濃くなった。

◇作品を読んで

 作者のアイデアは、どの作品もそうだが新鮮である。毒を持つ蛇が、自分の舌を噛んだらどうなるのか。毒がまわるか、そうでないか。「もし、○○だったら」と考える。そこにアイデアが生まれる。別の言い方をすれば、日常という常識の世界では起こり得ない、非現実的なところからの発想である。
 それが生かされているのは作品の後半で、前半は登場する蛇の背景であり、蛇という登場物の性格付けである。ここは、全体の構成を作る基礎部分である。これを推し進めていく、つまり書き加えていくと掌編から短編へと移行する。
 出雲空港や荒神谷など、身近な施設名や地名などが正確な形で登場し、親しみが持てる。そんな蛇家族が、本当に居そうな雰囲気を感じさせるところも面白い。