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  千の風になって
                         大田静間                   
                                                                                   平成19年8月2日付け 島根日日新聞掲載

 心に芯があるとすれば、それは魂ということになるのであろうか――。
 その在処は、何層もの殻に覆われた闇の中であり、普段は眠り続けているに違いない。
 何か感動することに出合い、衝撃を受けると、その波動が暗闇の中に伝わり、魂が揺り動かされ、眠りから目覚めるのである。
 昨年暮れのNHK紅白歌合戦以来、『千の風になって』が広く知られてから、シングルの売り上げがミリオンセラーに近づく勢いになったと、過日の新聞は報じた。
 さもありなん、と納得できた。
「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません」
 この詩に百万もの魂が揺り起こされたのだ。
 死に直面する時の心の象(●かたち)が掴めないでいた時、詩を耳にしたことで潜在意識が顕わにになったのだろう。
 さらに拍車をかけたのは、作者不詳の詩であるということが聴く人の想像を膨らませたからだ。
 不治の病に冒され、黄泉路へと旅立つ若い恋人が、別れに残した詩だろうか――。
 それとも、固い家族の絆で結ばれた老人が死を悟ったときに、悲しむ孫を説得するために書いたものだろうか――。
 あるいは、不遇の子供を残して逝かねばならない母親が、生きて行く指標を持たせるために綴ったものだろうか――。
 それにしても、千の風とはどんな「風」を言うのだろう。苦しみ考えあぐんだ末に到達した作者にしか表現できない風――。
 昨夜も、テレビでテノール歌手が風の中で舞う鳥の映像を背景に歌っていた。
 確かに、鍛錬された声楽家の声はきれいだと思う。
 しかし、この歌は、さまざまな境遇、生きた永さにより、聴く人の魂への染み込みが違う。
 私は既に古稀を迎え、この詩をどのように受け止めるかを考える時期に来ている。私は、詩をどのように表現する歌で聴きたいのだろうか……。
 澄んだ声でなくていい。苦しみを押し包み、訴えるように聞かせてくれる歌手の声で、この歌が聴きたい。

 そうだ――。歌い手は小椋佳がいい。

◇作品を読んで

 作品に書かれているように「千の風になって」は、原作者不明の詩であり、しかも原題がないらしい。日本語のタイトルは、三行目のI am a thousand winds that blowという文から作られたという。
小説作家であり、シンガーソングライター、写真家でもある新井満氏が、英語の詩を日本語訳にされたもののようだ。
 歌は人生だ、心の、そして魂の古里だ。歌は心の奥底に沈んでいた記憶をも蘇らせ、明日への活力を与えてくれるなどとも言われる。作者は何度もこの歌を聴き、そんなことを思いながら、この作品を書かれたのではないか。