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  梅雨の独り言
                           遠山多華                   
                                                                                   平成19年7月19日付け 島根日日新聞掲載

 人は人、己は己。雑音に惑わず、頑として我が道を行く――或る日の運勢欄に、そう書かれていた。
 運勢欄は、とかく人生訓めいている。それがいいのだ。私は、新聞の運勢欄をまず最初に見る癖がある。暇つぶしと言えばそれまでだが、何かにこだわる自分の性格がそうさせているかもしれないと、時には反省もしてみるのである。
 だが、運勢欄の教訓めいたものが妙に当てはまることがある。それは一日の指針であり、また反省ともなる。もっとも、全然関係のないのもあったりするが、読む人の環境も異なるので、別に気に掛けるほどでもない。
 一般的な予言であれば、個性も違うのだから、当てはまるばかりが運勢欄の能ではないということだろう。当たらなくても、それは自分の身辺を心して見届けるということにも繋がる。
 ともあれ、或る意味で、毎日の運勢欄は期待と現実への欲望を湧かせてくれることは確かだ。

 七月五日。
 ふっと、テレビのスイッチを入れた。
 凛々しい眉が男前を引き立てている、水原弘が大写しになったテレビ画面。
 東京都出身の歌手で、おミズ≠ニいう愛称で呼ばれ、第一回の日本レコード大賞となった「黒い花びら」は大ヒットする。その人の命日である。 

 眉の話である。
 昔は、夫が亡くなると女は眉を落とす風習があった。
 父は、数え年の五十五歳で亡くなった。その時、私はまだ十五歳の少女だった。
 母は五十歳くらいであったと思うが、惜しげもなく眉を剃り落としてしまった。子ども心に、母がいたわしいと思った。
 母は外出するとき、決まって鏡の前で眉を落としていた。眉の無いことが、未亡人であるという証明であったらしい。今でも、その情景が蘇ってくる。
 私は既に、卒寿半ばになった。頭髪も薄くなると同時に眉までも薄くなり、まさにのっぺらぼう≠フ、それでも皺だけはある顔がいよいよもって貧相だ。
 眉引いておこがましくも未だ女――そんな句に苦笑している。

 古い話である。
 男の占有でしかないが、鼻の下と顎にしつらえる髭がある。
 父のチョビ髭はよく似合い、蝶ネクタイにステッキを振って歩く姿は異彩を放っていた。満州帰りのゼントルマンは、還暦で亡くなった。
 長生きをして欲しかった。人生勉強という意味でも、教わることが多かったのである。
 
 梅雨は未だ明けない。音もなく降る雨の中で、遠い昔のことだけが蘇る。

◇作品を読んで

運勢欄を見るというのは、巡り合わせというものに期待するということか、もしくは、書かれていることに出会う、出会わないように努力するということだろうか。
 テレビを見ていたら、往年の歌手、水原弘が出演しているのに出会った。男らしい眉を見て、母のそれを思い出す。その追憶は、母から父の髭に広がった。
 出雲は四季を通じて雨が多く、何かと言えば雨は深い関係を見せる。季節は間違いなくうっとうしい梅雨となったが、なかなか明けない。その中で、とりとめのないことを考えている作者の、雨の一日である。