冒険しよう!
内海広敏
平成19年6月27日付け 島根日日新聞掲載
「小学生ン時なぁ、通学路ってちょっとした冒険だっただわ」 自宅へ向かって走る軽自動車の助手席で、私は小さく呟いた。 五月下旬のある日、私の家族は田植え作業の真っ最中で多忙を極めていた。午後から仕事を控えている私も朝間の空き時間を利用し、空の苗箱を洗うなどの作業をして手伝っていた。やがて、会社の出勤時間まで二時間を切り、やむを得ず植え付け作業は父にお任せして、母に頼んで家まで送ってもらう途中の出来事である。 唐突な一言にもかかわらず、母は普段通り落ち着き払った様子で私に相槌を打った。 「ああ、よう分かるわ。寄り道してみて分かることもたくさんあるけなぁ」 車の窓を隔てた向こうの世界には、三十年来変わることの無かった田園風景が広がっている。私は車の左側を流れる景色をぼんやりと眺めて、しばし物思いに耽った。 倉吉の一級河川『天神川』の支流、『竹田川』へと続く小川や四方を山に囲まれた中での棚田、そして両者の間を沿うように、アスファルトで舗装された農道が張り巡らされている。 極めてのどかな光景である。 今の住所に引っ越すまで、倉吉市東部の小さな集落で幼少期を過ごした。 小学校の決まりで、登校の際は集団登校が原則だったものの、下校時は近所の子と一緒でない限り、いつも一人で帰っていた。 その当時から用心深い反面、妙に好奇心旺盛で、農道は帰宅途中に必ず通りかかるため、学校がある日はほぼ毎日のように道草を食って帰った。 この場所は、近隣に住む子供たちにとって絶好の遊び場であった。川ではザリガニやタニシが取れたし、道端に草むす笹の葉を笹舟にして、田んぼの用水路でレースと称して友達と競い合い、そこの圃場を管理する農家さんによく怒鳴られたものである。 私もその類に漏れなかった。 一つ一つがかけがえのない思い出であり、全てが懐かしく思える。いつの間に慣れてしまったんだろうか? 気付けば、それまで感じた様々な経験、体験がセピア調にすっかり色褪せて、遠い過去に成り果てている。 会社と自宅を往復するだけの日々に身を委ね、ここ数年間を仕事に忙殺されながら過ごすうちに、些細な事柄も至極当然のようにやりすごしていた。 田植えで久しぶりに訪れた我が家の田んぼの畦道で、偶然青蛙の死骸を見かけた。仰向けに引っ繰り返った蛙は、青緑の皮膚がどす黒く変色した上、体も硬直していて既に息はないようだった。無数の働き蟻たちが規則正しく列をなして群がり、自分たちの体躯の何倍もある蛙の肉を少しずつ啄んで巣に運んでいく。 父は会社の知人から譲り受けた乗用田植機を四苦八苦しながら操作し、風光る広大な湿田に青々とした瑞々しい若苗の絨毯を敷き詰めている。 我が家の田んぼを住処とする蛙たちが季節の変わり目を察して、嬉しさいっぱいに鳴き声を発し、あたかも秀麗極まるオーケストラのアンサンブルにも似て、水田地帯に響き渡った。 その歌声を耳にした瞬間、どこかに置き忘れていた感情が甦って愕然となった。 ほんの身近なところで、命の営みは静謐かつ、脈々と続けられていた。会社と自宅を往復する毎日を送り、出ては消えて使い捨てられるマスメディアの報道に振り回されて、手を伸ばせば届くはずの小さな感動に、いつの間にか無関心になっていた。 よくよく考えると他愛ない小さなきっかけが元になって、意欲や活力を見いだすこともある。 我が家の圃場で見つけた今回の出来事は、私の心境に多大な影響を及ぼした。 なんとも清々しい心持ちであった。 近頃、『冒険』という語句を意識し始めた。 それは何も未開の地や知らない場所に行くという限定された意味ではない。身近な所にも、今まで分からなかったことや知ったつもりで見過ごしたことがきっと隠れている。だからこそ、発見したときの感動は何物にも代え難い。 今、私自身に繰り返し言い聞かすのだ。 「冒険しようぜ!」と。 |
◇作品を読んで
作者はかなり忙しい仕事に従事されているようである。徹夜明けの朝、お住まいの倉吉市から松江での文学教室参加のために車を往復四時間近くも走らせる。 農家が農繁期に入った或る日のことである。作者は出勤前の数時間を手伝いに費やした。会社に遅れそうになり、送ってもらう車内で交わした、久し振りの母との会話から忘れていた昔のことを思い出した。長閑な蛙の声を聞き、打ち捨てられた死骸を見て、「どこかに置き忘れていた」何かに思いを馳せる。 子どもであった頃から、時が流れ、月が過ぎ、年が経って作者は大人になった。幼い頃の冒険は、時間という濾過装置にかけられ、新しいそれに変わる。作者は現在の視点で思い出を語り、未来を読もうとした。じっくりと練り上げられた作品である。 |