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  名前の効用
                        津井輝子                   
                                                                                   平成19年4月5日付け 島根日日新聞掲載

 思うところがあり、今年に入ってから筆名を「津井輝子」に変えてみた。(筆名を持つこと、それ自体、実は気恥ずかしいのだが)
「津井輝子」
 漢字にすると、割りにピンとこないようだ。
「どういう意味ですか?」
 真顔で尋ねる人もあり、少しニンマリ。

 津井輝子は、ツイてる子なのだ。

 出合いは去年の九月であった。とある古本市へ出かけたときのこと。ごく小規模のもので、卓球台の上に五、六十冊も並べてあったろうか。全て一冊十円という買いやすさだったが、お客は私ひとり。急かされるような気がし、じっくりと品定めできなかった。
 その中で、ひときわ目を引いた本があった。古本なのに、なんだか輝いている。表紙の中央で笑っている女の子が、私を呼んでいるみたいだ。
 タイトルがふるっていて、マーフィ「ツイてる女」練習帳≠ニいう。
 五十を過ぎて今さら女でもあるまいにと、少しだけ迷ったが、中をパラパラめくると役に立ちそうな感じがした。
 女を磨いて素晴らしい伴侶と巡り逢える、お金持ちにもなれる。そのうえ、仕事も成功する。美と健康も手に入る。方法が具体的で、しかも四コママンガでおもしろそうだ。子供にでも買って帰るような素振りで、文庫本に挟んで買い求めた。
 家に帰って、じっくり目を通す。
 そこに登場する主人公の名前が「津井テルミ」さんという。対して不幸の神様を背負ったような顔をしている女の子「対手ナイ子」さんがいる。ふたりは同じ会社の同僚で、独身という設定だ。ふたりを中心に上司や彼氏、普通は目に見えない神様や潜在意識のセンザイ君などが出てくる。
 ここまでいうと何となく察しの付く方もあるかもしれない。要するに、前向きな考え方をする人にはよい出来事が、常に悪いことを想像している人は不幸に見舞われるという内容だ。
 人生長くやってると、誰でも心当たりの一つや二つはあるはずだ。わかってはいるが、実行するのは難しい。
 人に嫌味を言われれば落ち込み、財布を無くせば嘆き、失恋するたびに泣きたくなるのが常だ。
 それをこの本は、七十八の場面別レッスンをくり返して行うことでプラス思考に導き、幸運を手に入れさせようというのである。
 根が素直な私は、というより幸福を求めてやまない私は、さっそく始めることにした。なりたい自分像を具体的にイメージし、書き出すのがいいらしい。図々しいくらいの夢や願いごとをノートに十項目も記した。
 そして読む。潜在意識にしっかり届くまで何回も何十回も。前向きな暗示をどんどん送り込むのだ。
 いっそ、名前も津井輝子にしよう。それで決まった。
 今年一番のラッキーは、何といっても懸賞で当たった京都一泊旅行だ。ペアでしかも、お小遣い付きだ。他にも、当たりまくっている。
 羨ましい? 嫉妬はご法度ですよ。
 ツイてる女は言う。人の幸運は一緒に喜ぶこと。「よかったね」のひと言は、結局は自分に返ってくる。よき言葉を放ち、よき想念を送る。言霊は侮れない。
 津井輝子は、呼べば呼ぶほど、ツイてる子になるラッキーネームなのだ。

※参考
『マーフィー「ツイてる女」練習帳』 マーフィー無限の力′、究会 小迎裕美子  三笠書房 平成十七年刊

◇作品を読んで

 最近は文学教室参加のほとんどの方がペンネームを使われるようになった。本名は自己の存在を現すものだが、文章を書く場合のペンネームは、別の人間になるという側面を持つ。
 ペンネームを持つことによって、本来の自分ではない存在になるという話が、この作品である。羨ましい話であり、偶然だろうなどと言ってみたくなるが、作者は名前のせいだという信念である。あるいはそうかもしれない。名前を変えたことによって、新しい人生が開けたというのは、確かによく聞く話でもあるからだ。
 戸籍上の名前を変えることは難しい。家庭裁判所の許可が必要で、それには「正当な事由」がなけねばならない。だが、ペンネームは自由である。楽しんで使えばよい。この作品のように、文章も生き生きとしてくるかもしれない。